うぐいす
Vol.1-5.7-114 うぐいす
2020.05.07
4月も中旬を過ぎたころだった。お隣の奥さんが2階のベランダから声をかけてきた。
「ウグイスが鳴いてますよー」って。
えっ、と思って耳を澄ましてみると確かに「ホーホケキョ、ホーホケキキョ、ケキョケキョケキョ……」と鳴いているではないか。
改めてえ~と驚いた。この地に来て35年ほどになるが、ウグイスの声を聴いたのは初めてではないかと気が付いた。
何か気象の変化か?、近隣の自然の変化?が影響でもしたのかなど、瞬時に頭の想像機能がフル回転した。ジイの心と頭が思いがけない発見というか、思ってもみない超絶美人の訪問に驚きと戸惑いと、嬉しいというか、本物のウグイスか疑いたくなるような複雑な心境となった。
ひょっとしたら、自宅待機が長引く中、癒し笛として「うぐいすの笛」を買ってきて誰かが吹いているのではないかと本気で疑ったりした。
ところがその後、朝のウオーキングに朝早く出かけて他の場所でもウグイスの声を聴いたのである。
これは本物だと、初めて納得した。
決して誰かが誰かと自分の癒しのために「ウグイスの笛」を吹いているのではないと信じるようになった。
それでもしばらくの間、若干疑っている自分がいることも正直あった。なにせ、今までこの地で聴いたことがないというのが根底にあって、この突然の訪問がにわかに信じられないのである。しかし、何日もあの華麗な声を聴いているうちにこれは間違いないと納得したのは10日も経った頃だ。
まあ改めて言うまでもないが、ウグイスの鳴き声は何と言っても特別感がある。いつもカラスの声しか聴いてない我が耳には最高の贈り物のように聞こえる。
日本三鳴鳥と言われる中でも断トツではないかと思う。
声を聞くのも久しぶりだが、姿など一度も見たこともない。
どうも「警戒心が強く、声が聞こえても姿が見えないことが多い」とある。
そのうぐいす、「ホーホケキョ」と1日に1000回も鳴くことがあるというから驚きである。
春は恋の季節と云うから1000回などへいちゃらということか。ましてや一夫多妻制というからそりゃ頑張ってしまうのもわからないではない。
さえずりは「ホーホケキョ、ホーホケキキョ、ケキョケキョケキョ……」、地鳴きは聴いたことはないが「チャッチャッ」と鳴くらしい。
東京台東区に「鶯谷」という山手線の駅があるが、この地名の由来が面白い。
時は元禄のころ「江戸のウグイスは訛っている」として、京都から3,500羽のウグイスを取り寄せて放鳥した。以後、鳴きが良くなりウグイスの名所となったという逸話があるらしい。
確かにうぐいすの鳴き声は他の鳥を超越している。
このウグイスの鳴き声は一瞬にして人の耳を釘付けにするからなのだろうか、野球場で場内アナウンスを担当する女性のこと「うぐいす嬢」といい、選挙カーから候補者の応援アナウンス女性を「選挙ウグイス」という。
ウグイスを市町村の「市鳥・区鳥」としている市区町村が全国で47に及ぶ。
まあ、ウグイス君、モテモテ、氏名登記でもして使用料を取ってれば今頃、ウグイス御殿で三食昼寝ね付で悠々自適だったのに残念!!
まだある、ウグイス色というか「うす黄緑色=うぐいす」という固定したイメージが定着しているためだろう「うぐいすあん」とか「うぐいすパン」などと呼ぶ。これほど人を一瞬にして陶酔の世界へ導くほどの鳴き声でなければ、商品に名前を付すことなどなかったであろう。
日本三鳴鳥でウグイスの他にオオルリ、コマドリがいるがうぐいすは別格なのである。
歌人・正岡子規は晩年、病床で過ごした。
その病床から梅の花が見えたという。辛い冬が終わり、花の匂いとともにうぐいすがやってきて鳴いてくれた。春の訪れを告げるウグイスの声はどんなに病床の子規を元気づけたことだろう。
その子規の歌である。
※ 鶯や となりつたひに 梅の花
※ 鶯の 松にとまりて 春ぞ行く
※ わが病める 枕辺近く咲く梅に 鶯なかば うれしけんかも
病床の子規の姿が目に浮かぶようだ。
春も終わりを告げるころ山へ帰っていくという。
今年はコロナウイルスという災難にもめぐり合ったが、思いもしない美人に会えてよかった。
今年は何か良いことがありそうな予感がする。