藤原道山

日本,雑記

Vol.1-5.24-131  藤原道山(ふじわらどうさん)

2020.05.24

藤原道山、東京藝術大学卒業、初代山本邦山に師事。
尺八の新たな魅力を拓く第一人者として邦楽のみならず幅広いジャンルで活躍中。という尺八奏者だ。

深夜ラジオ番組で初めて知った音楽家だ。
私たちは、何か特別に目的でもなければ、わざわざ尺八の世界を知ろうとすることはまずない。
音楽を目指す人であればいろんな音を聴いてみたいと、あらゆる手段で多種多様な音楽を探す行為は想像できる。

しかし、ジイのような無学な人間は、たまたま入った喫茶店で流れていた音楽だとか、テレビで紹介されたものに興味を持つ、あるいは友達の熱い言葉に誘われてなどが一般的入口であろう。

昨年末より浮浪者になったジイはラジオを聴くことが多くなった。昔のようにラジオしかなかった時代とは違う。若い人はスマホでゲーム、映画、小説とほとんどスマホ決済だ。ドライバーなどを除いてはあまり聴く人はいないと思っていたが、意外と多くの人がラジオを愛聴している。

そのラジオで最近知ったのが「尺八奏者・藤原道山」だ。

尺八イメージは竹、虚無僧、しか浮かばない。尺八の5つの穴から出される音は「ボー」となる低音に響く竹そのものの音が記憶にある。たまに民謡の伴奏者として聴いた程度の知識しかなかった。

そんな軽い気持ちで聞いたラジオの音楽に仰天した。
これ尺八??現代音楽ともクラシックとも違う引き込まれるような音楽。まずは尺八の固定観念をぶち壊された。

フルートよりも鮮明に聞こえるかと思えば、擦れた竹の音、濁音・高音・擬音あらゆる音が自在に奏でられたのには尺八であることを一瞬忘れてしまう。

一つの穴から4音を奏でるというが、それ以上の可能性を示唆した。
そして音の出し方の3つの方法である。
1、¨ 息 ¨の業・・・弱く、強く、その他微妙な息遣い
2、¨ 指 ¨の業・・・穴のふさぎ具合は数知れずと言った方が
3、¨ 首 ¨の業・・・横に振るとビブラート、縦にふると断続音のような

大きく分けてこの3つが音を出す要素だそうだが、頭で理解すれど思い通りに音を出すには相当の年月を要すると推察できる。実際、道山氏が初めて尺八に挑戦した時、1週間も音が出ず、泣きそうになったと述懐している。

ところでこの尺八の音、まさしく日本の音である。
例えば西洋音楽の「ド」という明確な音にも、日本独特の音の広さがあるという。
日本の繊細さだ、月にも「朧月」「十五夜」「二日月」「三日月」「十三夜月」「十六夜月」「満月」があるように「ド」という洗練された音に何かをまとっているような音の広がりである。
その繊細さが日本独特の音楽だという。

ウィーンフィルとの競演時に、その尺八の音を出す瞬間を凝視する楽団員が数多くいたというエピソードが紹介された。尺八が奏でる不思議な音に魅力を感じたのであろう。

その競演した「みのり」(作曲:藤原道山・編曲:大島ミチル)という曲がある。
すでにCDになっているが、実りの秋、収穫をイメージした曲だが、ミレーの「落穂拾い」が思い浮かぶような壮大にして繊細な曲である。

かと思えば、「ゆりかご」という日本の童謡である。
表現のしようがないほどの優しさに包まれる「やさしさの極致と」と言っていいかもしれない。

高音節を奏でる時、尺八と最初に説明がなければ尺八であるとは気が付かない。その音はフルートより鮮明である。
ある時は、強くたたきつけるような音で闘いを演出し、静かな荘厳な音に広大な神宮の夜の静寂を奏でる。

藤原道山氏は自分の音の原点を「竹林を通る風の音」におく。

かの大伴家持の
「わが宿の いささ群竹(むらたけ)吹く風の 音のかそけき この夕べかも」
の「かそけき(風に吹かれカサカサと儚く脆いもの)」や幽玄という世界をイメージする。

競演は様々な歌手、音楽家や美術家、俳優などとのコラボレートを積極的に行い、尺八の新境地を切り開く。

古典というベースがあっての多彩な競演が可能だという。

東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ梅の花、、、、(菅原道真)ではないが、東風(こち)という曲がある。
東(日本)から西(西殴)へ向かって吹かせようとの思いを込めた作品である。

尺八を愛し、日本の幽玄美の表現者として、日本の音楽を世界に知らしめようとする若き尺八奏者がいることに心を強くする。

日本を発信する若き才能をNHKだけでなく民法でも大いに取り上げて欲しいと思う。

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Posted by 秀木石