職業・無職
Vol.2-6-23 職業・無職
2020.02.06
テレビのニュースで、逮捕された男の顔写真の下に「悪事 野郎是 27歳・職業-無職」というのがある。
「職業・無職」、吾輩も今この状態である。
長い間勤めた会社を退職したのが、今から20年前だ。
その後、7つの会社を転々と「渡り鳥シリーズ」を地でいった。
この無職という職業。毎日が休日、不規則に時間が流れ、時間の感覚がうまく機能しない自分がいる。
歳をとると時間が早く流れるという、確かに子供の頃に時間の流れを気にしたことはなかった。
ただ、夏休みや、冬休みの時間だけが早く流れていったような気がする。
考えてみると、大人も子供も時間の流れは己の心身の在り方や、「好き」「嫌い」もしくは、自分の欲望と比例しているのではと思った。
子供も大人も休みというキーワードは同じようだ。
例えば夏休み・冬休み・休憩時間・連休などだ。
しかし、1年のようなスパンで考えると、大人にはあっという間に過ぎたと感想を述べることはあっても。子供にはその感覚が無いように思う。
私のようにジジイになれば一つ考えられることがある。命の終わりが見えてきたことだ。長生きをしたいという欲望が「時間よ、ゆっくり流れろ」という心が無意識にあり、過ぎ去った日々を振り返り、「ちょっと早いんじゃないの?」という時間の神への妬みのような感情だ。
子供の場合は、休みの時間や授業の時間など、瞬間の感情こそあれ、1年単位の時間軸は感情としての機能はないように思う。
子供の場合、今度は2年生だ、来年3年生、と未知への好奇心に満ちあふれている。生まれてこの方地球上のすべてが初体験、日々が好奇心をそそる事件の山だ。時間を考える暇など脳には存在しないのだ思う。
異論はあろうが、少なくとも、学校を出て、社会人20年ほどはがむしゃらであろうから。
年寄りが、朝目をさまし「ああ、今日も生きていて良かった」と言う表現があながち大げさでないことが、ジイも70を過ぎやっとわかるようになった。
ところで無職になって2ヶ月少々が過ぎた。
身体が鈍ってはいけないと、早朝のウオーキングと体操、少々の筋トレを始めたが、これだけでは心もとない。根っからの貧乏性であろう、幸い娘が、「ブログ」や「ライン」を使った脳トレのお膳立てをしてくれた。
お蔭で日々の時間を持て余すことはない。
しかし、今になって気がついたことは、何をするにも気持ちの持ち様の大切さだ。
継続は力なりで、続けることも必要だが、瞬間瞬間でもいい、頑張ろうとする気持ちと姿勢だ。
まだまだ、ジイは見た目も、体力も60歳と自負している。もう5年働こうと宣言した。
漱石の言葉にある「満身の力をこめて現在に働け!」と自らを叱咤激励する日々だ。
さあ、明日もハローワークだ!!。
朝、目がパッチリ明けばの話だが。