エンディングノート
Vol.1-6.2-140 エンディングノート
2020.06.02
最近テレビで加藤茶が「さようならがあたたかい」としてエンディングノートのコマーシャルをやっている。
昨年末退職してから、すぐにでも働くつもりが、なかなか決まらない。
確かに70歳を過ぎた人間を好んで採用する会社はまずない。
本人がどんなに元気であろうが、健康をアピールしようが、採用はまず履歴書から始まる。
まず、年齢で一歩も二歩も引く。
よほど特別な技術がない限り採用は難しい。
日々、ハローワークへ通い。あるいはフリーペーパーの求人冊子で探す中に、できそうなのがあれば片っ端から履歴書を送った。
面接までこぎつけるのは0.何パーセントの世界だ。まだ3回ほどしかない。
履歴書を送付したのは40通ほどになるだとうか。
そうこうしているうちに「新型コロナウイルス」で緊急事態宣言が出され、ほとんどステイホーム状態。
悶々とする日々、いつの間に半年が過ぎていった。
追い打ちをかけるように急に腰が痛みだした。
特別何かをしたわけではない。朝起きたら突然だ。
朝のウオーキングも中止せざるを得ず、部屋の中でコアラ状態になった。
ボーとしているとろくなことを考えない。
頭をよぎるのは、漠然とした先行きの不安だ。
食べることの不安ではない。
社会の緊張と、人間の雑踏にあるエネルギーから離れた生活が長期化することへの不安だ。
さりげないストレス不足は忍び寄る体力の低下をさらに早めるような気がする。
自身の体への不安もあるが、根っからの貧乏性は動のない世界に耐えられない。
ペンキを塗ったり、孫の遊び道具をつくったり。はたまた趣味の彫塑を作ったりもするが、すべて趣味の世界。
本業があってこそ、趣味が楽しめるというものだ。
半年ほどたった後の腰痛は、歳を感じるということを通り越して、一気にその先を考えるようになった。
そこで加藤茶の「エンディングノート」である。
以前から、まあそんなこともあるだろうとぼんやりは考えてはいた。
口ではそれとなく言ってはいたが書面に残してはいない。
例えば、
※ボケた時 → 一気に殺せとは言えないが、例えばこうしてほしい、、、
※意識不明になった時 → こうしてほしい
※癌になった時 → 治療はするな 等々のようなことだ。
一応残されたものが困らないようにと思い、己の「緊急事態発生時」の対応と、亡くなった後の処理方法を記しておくことが礼儀のような気もして。
<死亡時対応・葬儀>として、
1、葬儀するかしないか
2、するとした場合の斎場の指定
3、誰に通知するか
4、誰に通知しないか
5、49日は
6、1周忌は
7、3回忌はするのかしないのか
<死去したその後の処理>
1、書籍類の処理
2、その他持ち物の処理方法、、、、等々
その他、言い残す思いを書面にしたためる。、、、等を考えた。
財産はないので、「遺産分割協議書」の心配はない。
そう思ったところでエンディングノートの書き方を調べてみた。
そうすると、
個人情報が抜け落ちていた。
例えば、
※預金通帳&キャッシュカードの番号
※加入しているクレジットカード類
※その他のカード類(スイカ、ポイントカード類)
※借りている駐車場、保険契約内容、スマホ、会費制クラブなどだ。
「立つ鳥跡を濁さず」ではないが、残された者に迷惑をかけずに行くというのもなかなか難しいものだと苦笑いである。
死は本人の意に反し突然訪れる。
瞬時に天国に行けることが望み故、その準備は早いことに越したことはない。
取りあえず、本日葬儀場の下調べをした。
安心して理想の瞬間死を迎えられるための第一歩を踏み出したのである。