サヘル・ローズ
Vol.1-6.4-142 サヘル・ローズ(タレント)
2020.06.04
*サヘル・ローズ1985年、イラン生まれ。イラク戦争で孤児、幼少時代を孤児院で過ごす
運よく孤児院を訪れたフローラさんに引き取られ、8歳で養母と共に来日。
当時の状況は、代々木公園や上野公園に大勢のイラン人が集まっていた頃のことだ。
公園暮らしでは食事もできない日々もあった。養母フローラさんは日本語もできず、なかなか職に就けなった。しかし便所掃除や清掃の仕事を懸命に働き彼女を育て上げたという。
人は見かけで判断できないと思った。
エキゾチックな顔立ち、ハーフで小さい頃から注目されモデルをやり、その内タレント業へと順風満帆の人生だろうと想像していた。
あに図らんや である。
日本におけるイラン人の評判はすこぶる悪く、中学生のころ「イラン出身」というだけで、言葉によるいじめに遭ったという。
本人曰く、イランのことが嫌いになった時期もあった。でも、母からは「自分の国を嫌いなんて言っちゃだめ。誇りに思いなさい」と諭された。
養母フローラは大変だった。子どもは学校で友達もできるが、フローラは言葉も話せない。社会になじむのに時間がかかる。三者面談にもいけない。朝から晩まで必死に働いている親のことを悪く言われるのが一番つらかったと述懐する。
イランというと「大変だね」のひと言で終えられてしまうのが切ないという。
養母フローラの影響だろう、イランをこよなく愛している。
イランはバラの国だという。国花もバラ。日本と同じく四季があって生活の中にいつも花がある。お花屋さんは24時間オープン。バラは香水の材料としてフランスへも輸出している。
バラは早朝がいい匂いを発するそうだ。
6月はローズウオーターをつくる。バラ水、バラジャムなども日常である。
イランは文明発祥の地であり、映画をはじめ芸術の国でもある。スキー場も、マリンスポーツもできる素敵な国なのだと、イラン愛は止まらない。
更に、イラン人は詩人だという。日本の平安時代、短歌をお互い交わしたように、イラン人は手紙などにも必ず詩を託すという。
せっかく芸能界でお仕事をさせていただいているので、イランの本当の姿を発信したいと、熱がこもる。
「イランが苦しい状況に追い込まれれば追い込まれるほど、私にも何かできないかと考えてきました。
残念ながら「イランを出た君に何がわかるんだ」と言われてしまうこともあります。それでも、最近は周りの見る目が変わってきたことも感じます。「サヘルのおかげでイランが好きになった」と言ってくれる人が増えてきたのです。」とちょっと満足げに語る。
「¨ 出る杭は打たれる¨ といいますが、出ない限り打たれないので、とことん出ていこうと思っています。」と強い決意を示す。
イランを愛する以上に母フローラを愛している。
母フローラはすべてを「サヘル」のために自分を犠牲にしてきた。
掃除の仕事をしながら育てた母は、身なりも食もすべてサヘルのために自分を犠牲にした。どんな時でも苦労を感じさせることはなかった。とサヘルへの愛の強さを語る。
しかし偶然にも母の涙を見た時があった。その時初めて母の苦しみを知ったという。サヘルに心配をかけまいと気丈に振る舞っていた母。その時から二人の絆はさらに強くなったようだ。
母は「次生まれてくるときは、私のお腹から生まれてきて」という母の言葉を聞いて、私はすべてを愛されていると実感したという。
陰で泣いていた母、頑張って生きている母に気づかなかった自分。それ以来苦しさを見せ合える親子となり、母はサヘルの命のような存在となった。
もう母には働かず好きな事をしてほしいと願う。
お母さん何がしたい?と聞いたら。
フローラさんは
1、日本語学校に行きたい。→ 日本語学校に通い始める
2、ダンス教室に行きたい → ダンス教室に通う
3、ガーデニングがしたい。→ 庭がある1階のマンションに引っ越す。
今は110種類のバラを育てている。ご近所から声をかけられるようになりいつの間にか、バラと野菜を物々交換するまでになったという。
今の母の夢は「サヘル・ローズ」をつくることだそうだ。
今もサヘルさんへの愛はかわらない。出かける時には必ず頬にキスをし、玄関まで見送るという。
サヘルさんは今は芸能界に身を置く身。
苦しい時代もあったけど、本当にいい人生だという。
悩みながらも出会った人に救われたて今の自分がある。
まだ、35歳、しかし苦労の35年だった。
今は、施設の子供たちのために何かをしてあげたいと、母と一緒に施設を訪れいろんな話をしてあげている。
信じてくれる大人がいれば、子供は変われる。
自分の経験を生かし、生い立ちから聞かせるという。
頑張りすぎてもダメ、「いいかげん」ではなく、「良い、加減」で生きることも大切。
素直に生きることの難しさを思う。
他人に強いと言われるが、泣くことも多い。
泣きたいと時は泣くことも大事。
幸せは辛さと痛みを知っている。辛さという字、幸せに似ている。
幸せを感じるから、苦しみがわかる。
相手と話す時、相手の目を見て、極力固有名詞で語りかける。言霊を大事にする。
苦労人だから出てくる言葉だ。
夢はいろいろある。
夢はイランに児童養護施設をつくること。
世界中の子供を救いたい。
母の名前を歴史に残したい。
そのために大きくなってオスカーを取りたいと夢は大きい。
オスカーが欲しいのではなく、オスカーをとればスピーチができる。
世界中に母への感謝を口にできるから。
ビッグになれば、世界中の子供の窮状も伝える発信力もできるから。
発信の場が欲しいという。
例え偽善者と言われても施設の子供を救いたい。
母がくれた未来を世界中の子供にも上げたい。、、、と熱く語る。
今は、今日一日誰に感謝したかを5つ書くことを日課としている。
感謝、感謝、感謝の「サヘル・ローズ」さんにオスカーがほほ笑んだ時。
サヘル・ローズさんはどんなスピーチをするのだろうか。