「反日種族主義」の著者を告訴
Vol.1-7.5-173 「反日種族主義」の著者を告訴
2020.07.05
ついに来たか!という感じである。
昨年5月に韓国で発売された「反日種族主義」という学術書。
内容は、日韓で問題になっている「戦時の強制徴用工」「従軍慰安婦」を始め、様々な問題を取り上げた本だが、韓国が主張する徴用工問題と慰安婦問題はすべて韓国の嘘で固められている。と断定した衝撃的な内容である。
日本にとっては有り難い主張だが、韓国にとっては耐え難い告発本となった。
韓国では昨年5月に発売、ベストセラーとなり、日本では11月に発売。一時売り切れが出るほどの話題となり当然のようにベストセラーを記録した。
ジイも読ませていただいた。
内容は学術書に相応しく、詳細な資料を基に書かれており反論の余地はない。
強制徴用という事実はなく、慰安婦も性奴隷というには程遠く、ある程度の自由な生活と、それなりの所得を得ていた事実を残された資料から導いている。
内容は韓国を告発という形にはなってはいるが、著者は韓国が嘘を認め、国際的にも真っ当な国家として再生することを願い、自らの覚醒を期待した強い愛国心から発している。
決して韓国を貶めようという意図がないところに、研究者・教授としての矜持と内容への確かな自信である。
この本の著者を、韓国の元慰安婦や元徴用工の遺族らが、歴史を歪曲しており、「遺族は回復不能な苦痛を受けた」として、「名誉棄損」などの罪で検察に刑事告発するということである。
著者の李栄薫氏らは「韓国人の中世的幻想と狂信を撃破する」とし、今年5月に続編となる「反日種族主義との闘争」を出版したという。
まだ、日本での販売はされてないと思うが、日本でも是非発売していただきたい。
韓国はお隣さんだ、その意味でもジイはできるなら仲良くしたいとは思う。
しかし、戦後の韓国の反日は常軌を逸していて、仲良くなる方法をすべてつぶされてしまう。
謝れば、それみたことかと金を要求。金を払えば他に使ってしまい、本来渡るべき被害者に行かずまた被害者が騒ぎ出す。これを最後とし資金を提供し、不可逆的条約を交わしても反故にされる。
もう、手の打ちようがない。
日本は韓国を植民地にしたわけではない。会社でいえば合併である。植民地のように搾取したわけでもない。
お金のことを言えば、本土よりも韓国への投資の方が桁違いに多い。
立場を逆にして考えろと言われれば、誇りという心情において悔しさはあるだろう。
しかし、アメリカと戦い悲惨な敗北をした日本を見ろ。
世界で唯一、悪魔の爆弾、原爆の実験場とされた日本である。
一般市民を巻き込むことが想定されたにもかかわらず、原爆を、人体実験として広島・長崎に投下したのだ。
当時の長崎・広島の人口の1/3(21万人)が即死、37万人の死傷者を出した。
東京をはじめ日本各地で無差別爆撃は当時の戦時法でも許されることではない。
一瞬にして何十万人の民間人の命が奪われたのである。
にもかかわらず東京裁判で裁かれたのは日本人だけだ。
終戦後、一度としてアメリカからお詫びの言葉を聞いたことすらない。
戦後7年にも及び占領され、厳しい言論統制、歴史も抹殺、財閥の解体、事後立法という悪名高き東京裁判で多数の無実の人間を絞首刑にした。
原爆で苦しむ人間は今もいる。
かと言って、当時の日本人も、今の日本人もアメリカに謝れと言ったことは一度もない。
何かを要求した事実もない。
広島の原爆碑には
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。
この「『過ち』は誰が犯したものであるか」については、建立以前から議論があった。
昭和27年8月2日、広島市議会において浜井市長は「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答弁している。
同年8月10日付の中国新聞には「碑文は原爆投下の責任を明確にしていない」「あくまで原爆を投下したのは米国であるから、『過ちは繰返させませんから』とすべきだ」との投書が掲載された。
これにも複数の反論があった。しかし「広く人類全体の誓い」であるとの意見に収束された。
「誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、こんなひどいことは人間の世界にふたたびあってはならない」と、主語は人類全体とする現在の広島市の見解に通じる主張として落ち着いた経緯がある。
韓国人のみなさん。もし、韓国に原爆が落とされ、30万人の命が瞬時に奪われ今なお原爆に苦し無人間いるとの立場に置き換え、この碑文の内容に韓国民は納得しますか。
慰安婦を勝手に性奴隷と命名し、世界中にまき散らす人間には理解できないと思う。
「恨」にとりつかれ「恨」に苦しむ韓国人が可哀そうに見える。
日本には「恨」ではなく、「恕(ゆるす)」という言葉がある。
意味は、自分を思うのと同じように相手を思いやる。自分に引き比べてみて、相手をとがめずにおく。
この心の風景が碑文に出たのであろう。
大東亜解放戦争はお互い戦友であったはずだ。しかし、まるで日本と戦ったかのような錯覚に陥る。
今回の訴訟は、何を根拠にして戦うのであろうか。
長年かけて研究者が調べ上げた資料を基に、書き上げた学術書である。
少なくとも、国家の威信をかけて法の下で、法の名に恥じない法定論争がされるのであれば、「反日種族主義」にかかれた内容に恥じない公明正大な裁判が展開されることであろう。
間違っても、「恨」に根ずく、感情論で裁判が行われるとすれば、「無法国家」としてのそしりはまぬがれないだろう。
ユメユメ「反日無罪」という凶器を裁判に持ち込まれるこ祈るばかりだ。
「東京裁判」は茶番であったは世界の常識となった。
今回の裁判は、韓国国家再生の分かれ道となる重要な裁判だ。
注視したい。