昭和の絵師・上村一夫

雑記

Vol.1-7.31-199  昭和の絵師・上村一夫
2020.07.31

もう30年以上も前に45歳の若さで亡くなったいたことに驚いた。
しばらく忘れていた。

「上村一夫 生誕80周年記念展」が代官山蔦屋書店で開催されている。

ジイの若かりし頃、上村一夫氏の絵に妖艶と言うか、別世界の妖しさを感じていた。
まだ世間ずれしていないジイには上村氏の絵はちょっと近づきがたいものを感じたものだ。

小さい頃から親しんだマンガの絵とはどこか違った。
精神的に未成熟だったジイにはマンガの絵というより、絵だけで成り立ついわば絵画のようなというか、意思をもったイラストといったらいいのか、マンガと言うよりその絵に独特の刺激臭のような大人の匂いを感じていたような気がする。

すでに絵として独立した存在感を持っていた。人間の内部が描き出されたような生々しさに、若いジイにはちょっと近づきがたいというか、近づけないが何故か気になると言う感覚だ。
そのイメージがずーとつきまとった。

マンガ家というより、やはりイラストレーターに近いイメージだ。
その後、ずっと気になっていた作家だが、突然紙面に出た「上村一夫」に一瞬にしてタイムスリップ、30年も前に亡くなっていたのだという思いとともに、当時の思い出が一気に蘇った。

ジイも週刊マンガを読まなくなって久しいが、今回の記事によれば、上村一夫氏の作風は、タランティーノ監督の米映画「キル・ビル」にも多大な影響を与えたとある。

今回の展示会のフロデューサー、ヒロ・マツヤさんによると、上村さんは欧米、とりわけフランス、イタリアで大変な人気を誇る。という。

さもありなんと納得だ。記事にもあったが、マンガ家というより「昭和の絵師」と言うイメージがたしかにぴったりかもしれない。

そう言えば、村上氏の代表作「同棲時代」が映画化された時、「由美かおると仲雅美」の共演映画を見た記憶も蘇った。

生誕80周年ということであるが、今思うと45歳はあまりにも早い死であった。

今回初めて知ったのだが、横須賀市に生まれ武蔵野美術大学デザイン科を卒業。大学4年生の時に半年間アルバイトで勤務していた広告代理店・宣弘社のイラストレーターとして広告制作に携わる。とある。

そこで知り合ったのが、あの天才作詞家「阿久悠」とは驚いた。
宣弘社にてテレビの絵コンテを描いていた上村の隣のデスクに座っていたのが生涯の友人である阿久悠ということである。

宣弘社時代の同僚であった阿久悠氏は、上村一夫氏を「生まれて初めて出会った天才」と評している。

確かに阿久悠氏がいうのだから、間違いない、、、、。

こんな哲学的コピーを残している。

「人を傷つけたことがない者に、人を愛することができようか」

この天才をさらったのは癌であった。

異色のイラストレーターは今、天国でどんな絵を描いているのであろうか。

13年前、盟友阿久氏は天国へ旅立った。

久しぶりに会った二人、、酒を手に、絵の話だろうか、それとも歌の話だろうか、永遠の時の中でやむことのないしあわせを感じているはずだ。

そう思うと、天国はすばらしいところのように思える。