核なき世界

世界,日本,雑記

Vol.1-8.11-210   核なき世界
2020.08.11

「核なき世界に」 アメリカ大統領選、民主党候補のバイデン前副大統領は、広島への原爆投下から75年に合わせて声明を出した。
「恐怖が二度と繰り返されないよう、核兵器のない世界に近づける」と述べた。
バイデン氏がいうように「究極の目標」ではある。

何故、究極の目標と言わざるを得なかったのか。

75年前、アメリカは完成した核爆弾の威力を一度試したかった。そのチャンスは第二次世界大戦終局ギリギリで無理やり実行された。この悪魔の兵器を使わなければならない理由などなかったのだが。

無辜の市民を無差別にそれも大量に死に追いやり、更には放射能という後遺症を伴う甚大な被害を予想しえた爆弾を、それも2発も落とすという悪行をよくできたものだと思う。

その、爆弾の威力は想像を絶するものであった。広島と長崎は世界が再びこの兵器を人類に対して使うとしたら、世界人類滅亡の危機に追いやることを知らしめた。
広島・長崎のたった2発の原爆で一瞬にして36万人以上を死に追いやったことで証明し、世界は震撼したのである。

この世界最強の悪魔の兵器は、悲しいかな最も強力な抑止力となることを知らしめた。すなわち使わずとも手にすることで最高の防御力を持つのである。

今や、世界の核弾頭は
◆ロシア   6370発
◆米国    5800発
◆中国     320発
◆フランス   290発
◆英国     195発
◆パキスタン  160発
◆インド    150発
◆イスラエル80~90発
◆北朝鮮     35発

合計:   約 13,410発

前年比でロシアが130発、米国が385発減った一方、中国が30発増え、フランスを抜き世界3位の核保有国となっているのである。

北朝鮮の “35発” が、アメリカ大統領と対等に交渉もし、中国、ロシアをも無視できない国として扱わざるを得ないのである。

仮の話として世界戦争が起こりこの核がすべて使われたとしたら、世界の人口の半分は即死、残り半分は数年以内にこの世から姿を消す運命をたどるに違いない。
今の世においてひとたび使えば手を付けられない程の連鎖で地球は滅亡するだろう。

故にギリギリのところで、核保有国を増やさず、かつ「米・ロ」は「新戦略兵器削減条約」を結び、互いにエスカレートすることを押さえているのである。
しかしながら、「米・ロ」は別途結んでいた「中距離核戦力全廃条約」はロシアが違反したとして、トランプ米政権は破棄を表明した。

このように、世界のパワーバランスを保つのは簡単ではない。「米・ロ」を尻目に中国の軍備増強は2009年から2018年までの10年で軍事費は83%増加、中国が飛び抜けて高くなっている。

広島の松井市長は毎年、
「日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国に・・・」と核兵器禁止条約への署名・批准を求めるが、そうできない理由は、ただ単に日本がアメリカの核に守られているだけではない。

現実を冷静に見た場合。北朝鮮が良い例である。とんでもない悪行国家が核兵器を持つ怖さだ。無暗な対応もできず、アメリカとの強硬策にも躊躇せざるを得ないのが現状である。

繰り返すが、「核兵器」は使えば破滅を導くが故に、最高の抑止力になっているという皮肉な現実を見ずして「核禁止条約」は語れない。

世界には核兵器の不拡散に関する条約(略称:NPT)なるものがある。核軍縮を目的にアメリカ合衆国・中華人民共和国・イギリス・フランス・ロシア連邦の5か国以外の核兵器の保有を禁止する条約である。

にもかかわらず、イランには開発疑惑がつきまとっている。隙あらば知らない内に開発し、完成した暁にはその「悪魔の武器」で北朝鮮のように無法を振る舞う可能性がある。

残念ながら、今や汚染問題も考えれば、地球規模での思考が必要である。
「核禁止条約」をつくってそれに署名・批准すれば世界は平和になる。まるで、日本国憲法「9条」があれば戦争は起きないとする議論と同質である。

「広島・長崎」の悲惨は世界が二度と核を使えなくした最強の「象徴名」となった。
広島・長崎の果たす役割は、今や地球規模に重要度を増した。

8月は、2年前のオバマ大統領のように、この地に世界の指導者を招く努力など、核抑止の発信地としての役割を担うことが「広島・長崎」に課せられた責務との認識が必要であろう。

「原爆」は「広島・長崎」を知らずして語るべからずと言われるまでに、原爆被害者国として真摯な取り組みが必要である。

「広島・長崎」は毎年8月、原爆の悲惨と平和への訴えを世界に向け発信してきた。
このことそのものが、日本が最大の抑止力として世界に貢献している。しかし形骸化してはならない。一歩踏み込んだ取り組みが必要である。

最後に2年前のオバマ大統領のメッセージの冒頭である。

Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. ・・・(U.S.President Barack Obama’s speech)
(71年前、雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった。・・・オバマ大統領)

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