日本の夏(戦後75年)
Vol.1-8.13-212 日本の夏(戦後75年)
2020.08.13
戦争は悲惨である。
その悲惨な傷口に、これでもか、これでもかと塩をぬり込む。
この時期になると繰り返えされる「戦争反対と平和への祈り」と称し放送される戦争弾劾番組だ。
戦時下の大変な生活。沖縄戦の玉砕、広島の原爆、長崎の原爆、、東京大空襲。
平和は大切、バカな戦争を誰がしたと、戦争の「悪」に焦点をあて徹底的に打ちのめされる。まさに戦争リンチが各局総動員で始まる。
戦争を戦ったのは私たちの祖先である。血のつながった日本人そのものである。
戦争は今も世界各地で起こっている。
例えば、2011.3月に起こったシリア内戦は今も続く。
多くの日本人、この戦争がどうして起こったか、何故終わらないのか。考えたことがあるだろうか。
戦争は悲惨です。難民は大量にヨーロッパを目指した。難民も大変だが、受け入れた国も大変だ。
私たちは遠い国で起こったこと、難民が流れ着くことのない日本。ほとんどの日本人はこの戦争を日常の中で思いを馳せることはないのではないか。
つい、今年の香港の出来事ですら、我が身に置いて真剣に考えた日本人はどれほどいるだろう。香港人にとってみれば、命を賭けた自由への戦いだ。彼らにとってはまさしく戦争である。
今までは可能とされたデモも、反政府的言動も、一つ間違えば無期懲役となる。
バッグの中に「香港独立」のフラッグを見つけられ逮捕された男性もいたのだ。
彼らが自由主義を守るために起こすデモや抵抗はすでに戦争である。
彼らが行動を起こす時、生きるか死ぬかの選択から始まる。鉄砲を持って最初からドンパチやるのが戦争ばかりではない。かれら自身が口にする戦争について、部外者がそれは戦争ではないと言っても何の意味もない。
私たちは命をかけた香港の人たちに向かって “戦争は悪です” “やめなさい” と正面切って言えるのか。
1941年(S12)7月7日の支那事変から始まった「大東亜戦争」。
1、その始まった経緯
2、当時の世界情勢
3、日本の状況
4、開戦への決断に至る経緯
私たちはその詳細を知って、戦争を語っているのか。
アメリカから最後通牒として突きつけられた「ハルノート」、仮にこの内容を日本がのんで、戦争を断念できたとしたら、きっと多くの日本人の命は救われたかもしれない。しかし、過去の日本はなくなり、国語が英語となり、あるいはアメリカ合衆国日本州として幸せな日々があったかもしれない。
ジイはそんな日本に住みたくもない。
大東亜解放戦争として戦う中で多くのアジアの植民地は独立を勝ち取ったことも事実である。マレーシア、フィリピン、インドネシア、インドなど多くの東南アジア諸国は日本軍を歓迎し、独立戦争をして独立を勝ち取ったのである。
戦わずして独立を果たした韓国。その戦いがなかったために国家としての苦しみを抱えている。
日本人として、指導者たちはギリギリまで譲歩し戦争を回避しようとしたのである。
戦う前から降伏する選択肢など、当時にあってあり得ない話だ。
その判断もしないで、当時日本を守るため、家族を守るために命を賭して戦った戦友を「バカな戦争を起して」と罵ることができるのか。
靖国神社には戊辰戦争から始まり今日までの246万6584柱という英霊が眠っている。
その英霊が眠る靖国神社に天皇陛下がお参りできない悲しい現実。国家としてあり得るのか。
国のために命を落とした御霊に頭を垂れることさえできない国家。
そんな国が世界のどこにあるというのか。
日本人はそう思わないのでしょうか。
経済規模は世界第3位、、、ちゃんちゃらおかしいです。
ジイは恥ずかしくて独立国などと言えない。
中国と韓国が靖国参拝を反対した理由がある。
A級戦犯がまつられているから。笑止千万だ。
戦犯に関して言えば、日本国内で4000万人もの戦犯赦免の嘆願書によって昭和28年(1953)8月3日の衆議院本会議で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が可決している。これにより日本に戦犯は存在しないことになった。
その時から日本にA級・B級・C級という戦犯はいなくなったのだ。
そもそも東京裁判そのものが、世界に悪評高き無法な裁判で茶番と評された裁判だ。その裁判を当事国の日本が、今も大切に崇める人種がいるというのはどういうことか。
東京裁判の裁判官は戦勝国のみ、さらに事後法で裁くというあってはならない手法によるリンチ裁判であった。インドのパール判事が「全員無罪」と訴えたことこそが、当時の戦争に対する国際法に乗っ取った正しい判断だった。
<パール判事の日本無罪論・・・小学館文庫/著:田中正明>
極東国際軍事裁判(東京裁判)で、戦勝国11人の判事のうちただ一人インド代表判事ラダ・ビノード・パール博士は、この裁判は勝者が敗者を一方的に裁いた国際法にも違反する非法・不法の復讐のプロパガンダにすぎないとして、被告全員の無罪を判決した。
この判決文は公表されず、多数派のみが、あたかも全判事の一致した結論であるかのように宣告されたのである。
靖国神社に行くとパール判事の顕彰碑がある。
パール判事の、判事としての透き通るような強靭な心を思う時、胸を熱くする。
日本人よ、戦争を憎むことは被害者として当然のことかもしれない。しかし、この国に生まれそこで家族とともに歩んだ日本は一つの大きな家族である。
祖先が戦争という禍に立ち向かわねばならなかった。
軍人は言わずもがなわれわれ家族を守らんがために戦場に向かったのだ。
戦場では命惜しさにただ逃げ回ったのではない。我が国家、我が家族を守るために、命を賭して勇敢に戦ったのだ。その英霊に手を合わせられなくて何が「戦争反対だ、平和が大事」だといえるのか。
靖国神社で英霊に手を合わせる全国民の姿が、あるいは心がなければ、本当の意味で平和を望む国民にはなり得ないだろう。
国家がその姿を国民の前に見せないのだから悲しい。
草葉の陰で泣く英霊達の涙、いつになったら消えるのであろうか。