パール判事の日本無罪論(戦後75年)

世界,日本,,雑記

Vol.1-8.14-213 パール判事の日本無罪論(戦後75年)
2020.08.14

<パール判事の日本無罪論 / 小学館文庫:著・田中正明>

もし、パール判事がいなければ、東京裁判(極東国際軍事裁判)は連合軍の思うままに、正当な裁判として世界に印象づけられてしまったかもしれない。
「国際法違反、非法・不法の復讐のプロパガンダにすぎない」とパール判事は断罪、被告全員の無罪を判決されたのである。
この本を読めば、私達日本国民は感謝してもしきれない程の感謝と、判事としての崇高かつ強固な意志にただただ、頭を垂れるしかない。
情けない日本人にパール判事は何度も叱咤激励し続けていただいた。
この本の印象的な部分の一部を紹介したい。

<パール判事の日本無罪論>

「当時、新興国であったインドが、二百余年のイギリスの桎梏から解放されて、真っ先に取り上げた問題が、インドネシアの独立援助と、東京裁判への対処であった。ネール首相はそのために、もっとも尊敬するパール博士を、インド代表判事として東京に送ったのである。」

「この時博士は67歳、カルカッタ大学総長の職を辞して、1946年5月17日に着任した。着任してわずか2ヶ月、他の10判事が共に談ずるに足りないと悟るや、彼らと一切の交渉を絶って、帝国ホテルの自室に閉じこもった。彼らが観光旅行や宴席にあるとき、博士は部屋にこもったまま、調査と著述に専念した。」

「ことに資料の収集には力をそそいだ。カルカッタの自宅から何度も著書を取寄せ、アメリカやイギリスの友人からも、資料を送ってもらった。博士が2年半に読破した資料は4万5千部、参考書籍は3000冊に及んだということである。まさに超人的な努力である。」

「博士が他の判事たちと全く意見を異にするという噂が伝わるや、博士の身辺危うしという風説が高まった。この風説を心配して、博士の身を憂える人々に対し、博士は極めて冷静に、むしろそれらの人びとをたしなめながら、生活態度は少しも変わることはなかった。」

「博士は東京裁判の全期間を通して、法廷に臨むときは、かならず判事席から被告席に向かって、敬虔なる合掌の礼をとった。満員の法廷は博士のこの態度に感激したものである。」

「裁判もいよいよ結審に近づいた1948年8月、博士は夫人危篤の急電を受けて、急遽インドに帰った。病床にかけつけたとき、夫人は博士の顔を見るなり、喜ぶどころか、うらめしそうな面持ちで、「娘が勝手に電報をさしあげたそうで、すみません。あなたがせっかくお帰りくださったことは嬉しうございますが、しかし、あなたはいま、日本の運命を裁こうという大切なお体です、聞けばその判決文の執筆に寸暇もないそうですが、あなたがこの大切な使命を果たされるまでは、私は決して死にません。どうぞご安心くださって、すぐに日本にお帰りください」と厳然といい放ったという。」

「博士はこの一言に感激して、そのまま東京へ引き返した。夫人は約束どおり、気息奄々(えんえん)ながらも、裁判が終わるまで生き延びていたが、大任を果たして帰った博士に手をとられて、いくばくもなく瞑目されたのである。」

「このような悲愴なエピソードまであって、全員無罪の世紀の大判決文は完成したのである。あるいは、同じ東洋人だから、日本に味方したのだろう、といった、安易な見方をする人がいるかもしれない。しかし、これは博士の精神を冒瀆するものであり、見当違いもはなはだしい。」

「博士が再度訪日されたとき、朝野の有志が帝国ホテルで歓迎会を開いた。その席上ある人が「同情ある判決をいただいて感謝にたえない」と挨拶したところ、博士はただちに発言を求め、起って次のとおり所信を明らかにした。」

「私が日本に同情ある判決を行ったと考えるならば、それはとんでもない誤解である。私は日本の同情者として判決しのでもなく、西欧を憎んで判決したものでもない。真実を真実と認め、これに対する私の信ずる正しき法を適用したにすぎない。それ以上のものでも、また、それ以下のものでもない」

「日本に感謝される理由はどこにもない。真理に忠実であった。法の尊厳を守った。にすぎないと言うのである。」

この序文でこの本のすべてを物語っているように思う。
東京裁判のすべてがこの博士の一言で明らかではないか。
いまだ、東京裁判史観から抜け出せない日本人よ、是非この「パール判事の日本無罪論」を読んでいただきたい。

その後、パール判事は再三日本を訪れ、叱咤激励をいただいた。

4度目の来日時、こんな感想を残しておられる。

「日本とドイツに起きたこの二つの国際軍事裁判を、他の国の法律学者がこのように重大な問題として取り上げているのに、肝心の日本において、これがいっこうに問題視されないということはどうしたことか。
これは敗戦の副産物ではないかと思う。すなわち一つに戦争の破壊があまりに悲惨で、打撃が大きかったために、生活そのものに追われて思考の余地を失ったこと、二つにはアメリカの巧妙なる占領政策と、戦時宣伝、心理作戦に災いされて、過去の一切があやまりであったという罪悪感に陥り、バックボーンを抜かれて無気力になってしまったことである。」

どこまでも鋭い指摘である。

パール判事のご指摘の通り、いま尚、東京裁判から抜け出し切れない日本。
日本の戦争をどうこう言う前に是非この本を読んでいただきたい。

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