純粋なる無私(戦後75年)

日本 雑記

Vol.1-8.15-213  純粋なる無私(戦後75年)
2020.08.15

平成元年1月、作家・林真理子氏が日経新聞に寄せた特別寄稿を以下に紹介したい。

『あの方が好きだった』(作家:林真理子)

天皇に対する感情というのは、いったいどのようにして形成されるのだろうか。

少なくとも私の場合、それは遺伝や環境ではない。

テレビの「皇室アルバム」に見入る私に、よく母は言ったものである。
「よくそんなものを見れるね」
うちの両親は、田舎によくいる“小インテリ”というやつで、山梨日日新聞がほとんどの町で、朝日を読み、つき合いで赤旗までもとっていたぐらいだ。父は戦後すぐに帰国せず、八年間も中国新政府の下にいた。はっきりした思想をもったり活動をしたりするにはあまりにもだらしない性格であったが、まぁ、そのテの雰囲気は漂っていた家庭ではないだろうか。

「戦争がなかったらねぇ」

ふだんあまりグチをこぼさない母であったが、時折、苦笑まじりに言うことがあった。

お父さんもあのまま銀行に勤め続けて、東京から引き揚げてこなかったら、あなたたちに何不自由させなかったのに・・・・・。

ある日、天皇のドキュメンタリー番組を見ていた時のことだ。
「この人も年をとったね」
母が傍らから顔を出した。
「こんな年寄りにあれこれ言うのは可哀想だけれど、やっぱりこの人はそれだけのことをしたんだから、責任はとってもらわなきゃね」

怖いほどきっぱりした口調に、私はかなり驚いたものだ。どうして母がそんなことを言うのか、まったく理解できなかった。

そう、あの頃は時代も今とは違っていた。授業中、先生たちは「天皇の戦争責任」を」よく口にした。そして庶民たちのあの一種の意地悪さ。私は今でもよく憶えている。学校に上がるずっと前のことだ。皇太子さまと美智子さまとの、ご成婚パレードをテレビで見ていた。すると見物人の中からけたたましい声があがったのだ。

「あれ、テンちゃんが映っているよ」
電器屋のおばさんだった。
「本当だ。テンちゃんだ、テンちゃんだ」

他のおじさんたちも大声をあげた。その中に、幼い私はなんとも言えない嫌な感じ—-権威を持つ人に対する屈折した心理—-を感じとっていたと思う。

私たちの “ おとぎ話 ”

「テンちゃんだ」
という声は、東京オリンピックで、陛下が開会宣言をなさる時まであったはずだ。

ともあれ、私には右がかる素地は全くなかった。このコースでいくと、皇室には全く興味を持たない大人になるのがふつうだ。事実、私の同世代はほとんどこうなった。

ところが、とういうわけか、私は長じるに従い、天皇陛下が大好きになってしまったのである。

敬愛するとか、お慕い申し上げるという気持ちではなく、それはまさしく「好き」なのである。あの方が動物園に出かけられたり、植物を手にとったりなさる表情が私はだい好きだった。子どもが珍しいものを手にした時と全く同じように、つっと背を伸ばし、唇をやや開かれる。

これほど純粋に好奇心をあらわに出す人を私は他に知らない。すべてに全力をつくされるのだ。

宣言文をお読みになる時も、署名をなさる時も、全身全霊を込めて一生懸命なのは傍目からもよくわかった。行動や言葉のひとつひとつに、たくまざるユーモアがあり、清々しさがあった。

私はこの人のことをもっと知りたくなり、さまざまな本を買ったものだ。友人たちは私の本棚に「皇室辞典」が並んでいるのをみてギョッとするが、それなどはほんの一部である。「天皇陛下のお言葉集」なんていうものも私は持っているのだ。

歴史の観点から見たドキュメンタリーや、戦争責任に言及したものもいろいろ買ったが、私が好きなものはやはり、ひたすら陛下を讃え、その人柄に触れたものだ。

それはまさしく “ おとぎ話 ” なのである。

むかしむかし日本に王子さまが生まれました。地味でどちらかというと不器用なお人柄にお育ちになりましたが、その純粋さ、無私のお心はたとえようがありません。戦争があって国民が困り果てていた時、当時王さまになっていたその方は、自分がすべて犠牲になろうと決心なさいました。

「私はどうなってもいい。国民を助けてくれ」

とおっしゃったお言葉に、アメリカの兵隊の親分は感激してしまいました。そして日本は救われたのです・・・・・・。

“ 私は泣けて仕方ない ”

もちろん綺麗ごとすぎるのはわかっている。けれども私はこのおとぎ話が好きで何回も繰り返し読んだ。

“ 無私 ” であること。これが私を魅きつけたいちばんの原因ではないだろうか。大人になった私は、欲望を持つことをよしとし、それをかなえるために努力してきた。

努力すれば多少願はかなう。しかし願いがかなうと、さらに望みは大きくなり、人への妬み心はふくれあがる。そんなジレンマと戦ってきた私にとって、まったく無欲で、“わたくし”というものを持たない人間は、それだけで不思議な存在であり、心をとらえて離さないのだ。

陛下が戦後の復旧のため、全国を巡幸なさったことがある。このフィルムを見るたびに、私は泣けて仕方ないのだ。
炭鉱で、農村で、陛下はいつもにこやかで、ひたむきだった。その方のまわりに、今では考えられないほど近い距離に、多くの人々がいる。彼らは陛下万歳を叫び、そして涙するのだ。

この時代、庶民たちもひたむきで純粋に私には見える。「お互いに大変でしたね」と手をとらんばかりに近づいていく。

これがおとぎ話でなくなんだろうか。こんなにしっかりと人が寄りそうことが、メルヘンでなくて何だろう。今日、私のおとぎ話の主人公が遠くへ消えてしまった。

だから、久しぶりに泣いてしまった私だ。

そこには無念さもある。いつの日か、えらい人になって園遊会にお招ばれしたい。そしてあの方からお言葉を賜りたい。それは私の秘かな夢であった。けれど間に合わなかった。その涙もある。私は泣きながらも “無私” にはなれない。   (平成元年1月)

陛下のお顔に漂う、誠実で穏やかな表情は、林氏の寄稿にある “ 無私 ”にあるのだと納得した。

陛下が戦後の復興のため、全国を巡幸なさると聞いて、GHQは敗戦の責任者として陛下の身の危険を考えた。ところがあに図らんや、大歓迎を受けたのである。
GHQは改めて陛下が真に国民から愛されている事実と、日本の強さの源泉を知ったはずである。