忠太郎食堂

雑記

Vol.1-8.28-227  忠太郎食堂
2020.08.28

今年の夏はコロナ禍で帰省をためらった。
他にも事情があったのだが、一人ぼっちの田舎に年2回はと思っていたがなし得なかった。

その田舎で思い出すのが、隣町にあったあの有名な『番場の忠太郎』。その出生地にある「忠太郎食堂」である。

作家・長谷川伸の代表作「瞼の母」に出てくる主人公・忠太郎が江州(滋賀県米原市番場)から「母を探して3000里」ではないが、母を探し求める物語である。
その番場宿にあった「忠太郎食堂」が一昨年帰った時に姿を消していた。まるで、忠太郎の母「おはま」のように。

その懐かしい「番場の忠太郎」の記事が新聞にあって思わず懐かしさのあまりスクラップしたのが今から31年前の下記新聞記事である。

~ <番場の忠太郎>『瞼の母』慕い、さすらい旅 ~

番場の忠太郎は旧中山道の番場の宿に、六代つづいた旅篭屋「おきなが屋忠兵衛」の息子。五歳のとき母と生き別れ、わずかに母の像を瞼のうらに思いえがくだけだ。

父は十二歳のとき患って死んだ。賭博仲間に加わったのも孤独の思いをまぎらす弱さのあらわれだったかもしれない。

やくざ同士の争いから人を傷つけた忠太郎と仲間の半次郎は金町の半次郎の家に立ち寄るが、突き膝の喜八や宮の七五郎にしつこくねらわれ、一度は堅気になると誓った半次郎も、任侠の徒らしく剣をもって立ちむかう。

そして半次郎の罪をひっかぶり、ふたたび瞼の母をしたうさすらいの旅を重ねるのだ。

行きついたところは江戸の柳橋「水熊」という料理茶屋。女将はおはまの旧友で夜鷹におちたおとらばあさんから、女将の素性をきいた忠太郎は、彼女こそ<瞼の母>その人と思い込む。

料亭の座敷で母子対面した忠太郎は、思わず「おッかさん!」とよぶが、ゆすりたかりと信じているおはまは、とりあわない。

「縁は切れても血はつながる。切っても切れねえ母子の間は、眼にみえねえが結びついて、互いの一生を離れやしねえ。あっしは江州番場宿の忠太郎でござんす」という彼の声もむなしくはねかえるばかりだ。

すべてをあきらめた忠太郎は、思い改めてあとを追ってくるおはま母娘をものかげにひそんで見送り、ふたたび彼女たちの前に現れようとしない。

忠太郎三十一歳、おはま五十二歳、嘉永二(1849)年の秋もやや深まったころの話だ。

「俺あ、こう上下の瞼を合わせ、じっと考えてりゃ、逢わねえ昔のおッかさんのおもかげが出てくるんだーーそれでいいんだ。逢いたくなったら俺あ、眼をつぶろう」という名せりふだ。これは作者長谷川伸の悲願をこめた言葉でもあった。

四つのとき実母と生別し、父も死に、兄にも早く死にわかれ、あとはうろおぼえの記憶が残されただけだ。・・・・・

滋賀県米原の蓮華寺には「瞼の母」にちなむ忠太郎地蔵も建っている。

台座には「親をたずねる子には親を、子をたずねる親には子をめぐりあわせ給え」と刻んであるが、これは万人に共通した祈願の声であろう。

・・・(文芸評論家・尾崎秀樹)である。

「瞼の母」は舞台でも映画でも何度も上演された人気演目であるが、ジイは中村錦之介(萬屋錦之介)の「瞼の母」が好きだ。
錦之介演じる「忠太郎」が、小暮美千代演じる母「おはま」を訪ね思いの丈を語る場面はなかなかの見ものである。

今でもYouTubeで島津亜矢の歌う「瞼の母」と共に流れる、映画の小暮実千代.とのクライマックスの場面をみると泣ける。昔の映画だ、殺陣の場面は今と比べ迫力には欠ける。しかしどの時代の映画でも、歌でも己が生きた時代の背景にあったものは当時の思いを一瞬、生き生きと蘇らせてくれる。

思い出は “ ユンケルやアリナミン ”よりもかなり即効性がある。残念だが夏の夜の花火のように一瞬で消え去ってしまう。