生きてさえいれば

雑記

Vol.1-8.29-228  生きてさえいれば
2020.08.29

産経新聞に「モンテーニュとの対話(桑原聡)」という連載コラムがある。
興味がある題材はしっかり読む。

8月28日は<周庭(アグネス・チョウ)さんに伝えたい>というものだった。
その要点を抜粋する。

『チベット、ウイグル、内モンゴル、香港での人権弾圧、アジア・アフリカ諸国に対する悪辣な高利貸しのような行為、さらには南シナ海、東シナ海における国際法無視の領土拡大行動・・・。
近年の中国共産党の増長ぶりは目に余る。

同党の即物的で、独善的体質を見抜けず、長きにわたり、あまやかし、太らせ、増長させてきた欧米や日本の政治家・経済人・知識人・報道機関の責任は重い。

そしていま、香港の状況を眺めながら思う。このまま放置すれば、世界は貪欲な怪物に食い尽くされてしまうだろう。』
と警告している。

従って、過去のナチスなどの
『悲劇を繰り返さないためにも、いまこそ自由と民主主義、法の支配の原則といった価値観を共有する国々は結束して中国共産党に敢然と対峙すべきだ。中国の巨大市場に惑わされてはいけない』とある。

その通りであるが、すでに惑わされた国がいくつかある。しかし、今なお「金」にぐらついている国もある。その中国の増長はとどまるところをしらず、イギリスとの条約を反故にし香港に「香港国家安全維持法」を施行した。

日本でもよく知られた民主化運動のリーダー「周庭(アグネス・チョウ)」氏の逮捕は日本にも衝撃が走った。つい先日のことである。

『昨年6月の中国本土への容疑者引き渡しを可能とする「逃亡犯条例」改正案への抗議デモを扇動した容疑で逮捕された彼女は、今年8月5日に有罪判決を言い渡され、量刑は12月以降に宣告されることになっている。

そして、追い打ちをかけるような国安法違反容疑での逮捕。今後、同容疑で起訴されるかどうかは定かではないが、23歳の女性がひとりで背負うには過酷すぎる運命だ。』と気遣い、

『周さんに伝えたい。ドン・キホーテやツヴァイクのような悲劇的結末を受け入れてはならない。』と、次のようなモンテーニュの言葉を贈っている。

≪我々のようなちっぽけな人間は、暴風雨を最も遠くから避けなければならない。すなわち忍耐力にたよるのでなく、こわいという感情の方に従わなければならない。打ち込んで来る剣をうち払うことができないなら、それをかわさなければならないのだ≫

周さんは国安法が施行された6月30日、ツイッターでこんな発信をしている。
『私、周庭は、本日をもって、政治団体デモシストから脱退します。これは重く、しかし、もう避けることができない決定です。絶望の中にあっても、いつもお互いのことを想い、私たちはもっと強く生きなければなりません。生きてさえいれば、希望があります』

≪ 生きてさえいれば、希望があります ≫ という最後の言葉が胸を打つ。付け加えるなら「怖い」という感情をなによりも大切にしてほしい。と呼びかけた。

ミシェル・ド・モンテーニュは、16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者。現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けた人間らしいが、400年以上前の人間の「随想録」が今に示唆する普遍性とは。

科学が日進月歩で変化する中において、400年以上も前の人間に学ぶ精神とはどう理解すればいいのか。

モンテーニュに限らない。日本人好みの論語であってもしかりだ。我々は何百年も前の教えを未だに学習する。人間の精神の歩みは「学習」により、それを土台としてさらに高みに精神を置く、さらなる学習によってさらに階段をのぼるように進化できないものかと思う。

科学のように現実の形として残せないものだからなのか。

人間の生命は、生を始まりとし死を終焉とする、一つの完結する小宇宙と考えれば、残された記述は新たな宇宙を築くものにとって大いに参考いなることは間違いない。普遍性のあるものが時を経てなお我々の道しるべとなっている。

短い一生である。死によって終焉する人生、確かに『生きてさえいれば、希望がある』これは「希望を持つものだけ」に与えられた普遍性のある真実のように思う。