九ちゃんは笑顔の羅漢さん

日本,雑記

Vol.1-9.15-245  九ちゃんは笑顔の羅漢さん

2020.09.15

もう35年も前になる、『日航ジャンボ機墜落事故』。
8月になると必ずニュースで御巣鷹山の慰霊登山の様子が伝えられる。

日本航空123便墜落事故は、昭和60年(1985)8月12日に日本航空のボーイング747型機が群馬県多野郡上野村の山中に墜落した航空事故である。

死者520人、生存者4人という大参事だった。助かった内の一人が12歳の少女・川上慶子さんだった。ロープでつり上げられヘリコプターで助けられる姿が今も目に焼き付いている。

死亡者の中に歌手・坂本九ちゃんがいた。今生きていれば78歳だ、どんなおじいちゃんになっていただろう。
どういうわけか、当時、九ちゃんがあの事故で死んだとはどうしても思えなかった。

朗らかで、優しくて、ひょうきんで、いつも笑っている歌手なんてそういない。歌手だけに止まらず、司会、タレントとしても活躍していたが、真面目にすました顔を想像できないほど微笑みを絶やさなかった特異な人だった。

だから、日航機事故で死んだと聞いた時信じられなかった。死にあまりにもそぐわない人間に思えたのだ。死に顔が想像できなかった。笑って冗談だよって、どこからか出てきそうなひょうきんさがどうしても消えなかった。

生前が特別な印象で形づくられた人間だったからこそ、消えることへのプロセスが脳の中で形成されないままの死は、残像の整理がいつまでもつかないのだ。それがジイの中の突然ということだ。

ところで、あの笑顔と優しさは本当なのか、懸命な努力による創られた顔なのか想像できなかった。ところが、突如、柏木由紀子という可愛い女優を伴侶に射止めた時には、九ちゃんが現実的冷静な男性として、ジイの中では、ほんの少し現実性を帯びた九ちゃんになった。

それでもなお、笑顔しか浮かばない人が突然消える。昨日まで流れていた川が突然なくなるように、信じられない自分が消えなかった。

今年も8月12日の御巣鷹山の慰霊登山がニュースで流れた。
もう35年も経つのかと思いながら、最近よく見るスクラップ記事を思い出した。

33年前の記事だ。事故から2年後、「九ちゃん」という表題で、元男子バレーボールの監督をされた松平康隆氏の交遊コラムである。

「月日がたつのは早いものだ。坂本九ちゃんが、あの日航機事故で亡くなって、この8月で三回忌をむかえるのだから。」という書き出しで始まる九ちゃんとの思い出が語られている。

当時、九ちゃんの「上を向いて歩こう」が全米ヒットチャート1位を記録し、そのプロモーションの訪米だったが、メキシコオリンピックで日本代表はソ連と金メダルをかけて戦うことになった決戦当日に、九ちゃんが「頑張ってください」と激励に訪れたのだそうだ。

それを機に、「義兄弟」の付合いが始まったというのだ。
お互い活動の場も違う。利害関係のない損得抜きの付合い。共通点は、松平監督に言わせれば当節はやらない「誠心誠意」という共通点が二人を義兄弟にしたというのだから驚きだ。

ジイの九ちゃんイメージを覆した。いつもひょうきんで真面目からは遠くの存在かと思いきや、「誠心誠意」という高倉健張りの心を知って、やっと人間九ちゃんを知った。

しかし改めてその記事を読み返し、今、ハッキリとあの時亡くなったんだと心で思えるようになった。

2メートル近い頑強な男子バレーボールの男たちを束ねる松平氏は九ちゃんと同じく小柄である。その大男たちの中に入っても決して小さくは見えなかった。

その松平氏が、九ちゃんを「実直で誠実な人柄そのままに、結婚後、良き夫、良き父として素晴らしい家庭を築かれた」と評した。

あの、おちゃめで、ひょうきんな九ちゃん、実は「実直・誠実」が本当の姿だったんだ。九ちゃんのイメージがやっと落ち着いた。シャイな九ちゃんはそれを笑顔というオブラートで包んでいたのだろうという思いに至った。

しかし仏様としての九ちゃんの顔はどうもそぐわない。そう思った時、埼玉県川越にある五百羅漢さんを思い出した。そうだ、「実直と誠実を笑顔で伝える羅漢さん」ならぴったりだと思った。

35年経って、九ちゃん → 日航機事故 → 死 → 羅漢さんに行き着いて心が落ち着いた。

今、九ちゃんは羅漢さんとして日本中のどこかで「誠実と笑顔の大切さ」を笑顔の羅漢さんとして伝えながら生きているような気がする。

人生の未解決が一つ消えホッとしている。

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Posted by 秀木石