ベン・シャーン

雑記

Vol.1-9.24-254    ベン・シャーン
2020.09.24

久しく貼っていたベン・シャーンのポスターの場所が今はない。

ジイがベン・シャーンを知ったのは平成8年(1996)9月25日の日経新聞の「ポスターの熱き時代十選」に掲載されたのを見た時が初めてである。

そのポスターは「水爆実験反対」というタイトルの物だった。何かを感じそのポスターに興味を持ったのだろうスクラップした。

このポスターの解説をグラフィックデザイナーの長友啓典氏がしている。ポスターが製作されたのが昭和35年(1960)。日本では安保反対で学生がデモで明け暮れ、黒澤映画「用心棒」や吉永小百合の「キューポラのある街」、外国映画では「ウエストサイドストーリー」「太陽がいっぱい」「甘い生活」が注目を集めて時代である。そんな胸おどる時代に鮮烈なショックを与えられたと、評している。

<ベン・シャーン(1898-1969)について>
8歳の頃、リトアニアから一家でニューヨークに移住。14歳の頃から石版工の徒弟として働きながら、夜学に通い、さらには奨学金を得て大学で学ぶ。20代は本格的に画家を目指してヨーロッパとアメリカを往来する生活を送る。30代半ばになり発表した「サッコとヴァンゼッティ・シリーズ」(マサチューセッツで起きた強盗殺人事件の容疑をかけられた2人のイタリア移民が、不十分な証拠のみで処刑された事件を題材に)で注目を集める。他にも1954年のビキニ環礁での水爆実験の被害を受けた第五福竜丸を題材にした作品など、社会的な事件を扱った作品で知られる。とある。

人は、根底に何かに対する怒りを内包すると、強いパワーを生み出すのではないかと思う。処刑事件にしろ、ビキニ環礁での水爆実験にしろ、社会に対する怒りと不条理な社会への批判精神が発露しポスターに現れたのは間違いない。

ジイはこの切り抜きのお蔭で、10年後の平成18年(2006)2月に埼玉県立近代美術館にベン・シャーン展が来たときには驚きと共に、実物が見られると少々の興奮を味わった記憶がある。

この頃はまだ、反権力や権威、あるいは社会に対する怒りに発展する思想を持ち合わせていなかった。従って、ベン・シャーンの思想の背景を知ろうともしなかった。

ただ、美術に興味のあったジイは、ベン・シャーンの絵のタッチや描き方に強く引かれ、自分の求める形を見たように思ったのである。

早速見に行った。ポスターも買い、ベンの作品集も買った。
部屋に貼られたポスターは収容者が鉄格子の中から見つめる姿である。その眼は「早く出してくれ」と言うのではない。まるで社会を蔑むような目で笑っているようにみえる、少々不気味な絵である。

今もたまに、塑像まがいの遊びをするが、目ざすところはベンシャーンに近い。

ベン・シャーンは昭和35年(1960)年に日本に来ている。

その当時、若手のデザイナーやイラストレーターたちを興奮させたとある。まだ学生だったあの和田誠氏も京都まで会いに行っている。

自分が何かを目指している時、その憧れの人物が日本に来る。その人に会いたいなあと思ってもなかなか行動に移せるものではない。学生ながらも会いに行くという情熱には、少々の感動を覚える。

その時ハッと思った。和田氏(イラスト)と村上春樹氏(文)が書いた「Portrait in Jazz」という本である。20年ほど前に買った本だ。そうだ、イラストは『和田誠』だったと思い出した。

本棚から取り出し、改めて和田氏のイラストを見た。
正しく点と線だ。60年を経て、ベン・シャーン → ベン・シャーン展 → JAZZ → 和田誠が一つに繋がった。
スクラップも決して無駄ではなかった。今にして不思議な時のつながりを思う。