弁護士とは何者か

Vol.1-10.6-266    弁護士とは何者か
2020.10.6

10月4日の産経新聞に「弁護士会という病」という弁護士が聞けば驚くようなタイトルで、北村晴男弁護士が寄稿した。

誰かの常套句ではないが、“ あっぱれ! ” としか言いようがない。

司法試験合格のその日から、一転「先生」と呼ばれ別格扱いされる職業もそうざらにはない。その先生の集団を「病」というのだから穏やかではない。

北村氏が弁護士でなければ袋叩きにあうところだが、当の本人も所属している弁護士会だ、深層は複雑である。

今回は「死刑廃止」がテーマになっている。

北村氏曰く、
『日本弁護士連合会の執行部とその周辺には、人権派と呼ばれる弁護士が多くいて、死刑廃止のための活動を長年おこなってきた。

その結果、近年、全国各地の弁護士会で死刑廃止を求める決議が相次いでいる』

この話についてジイは、ニュースや新聞記事からも弁護士主導で死刑廃止を先導しているということは前から知っていた。

当然のように弁護士のほとんどがこの方向性で動いていると思っていた。ところが北村氏は「事実は全く違う」と、ある意味国民に向かって告発したのである。

この記事を読んで、えっ!と思った。そうだったのかと納得した。

東京には、第一弁護士会と第二弁護士会があるが、第二弁護士会は通常「二弁」といわれ左翼系であると知り合いの弁護士に聞いたことがある。

さもありなん、
2005年2月28日、入学式・卒業式等で「教職員・児童生徒に国旗への起立・国歌斉唱を強制しないこと」、「教職員・児童生徒の不起立・不斉唱を理由として教職員に不利益処分を科さないこと」を求めると意見表明したのが「二弁」である。

それはさておき、この北村氏の告発であるが、まるで弁護士のすべての意見であるかのように「死刑廃止」が相次いで決議されているが、決議に至るまでの経緯だ。

まず、多くの弁護士は本業が忙しくて「弁護士会」の運営に関心もなく携わっている暇がない。結果として、執行部と一部の活動家によって組織が握られてしまい、その極少数の人間によって政治運動に利用されているのが実態である。

平成28年の人権擁護大会にしても当時の日弁連会員 37,606人のうち参加者は786人で、このうち採択に賛成したのは546人。つまり弁護士のわずか1.4%の意思が、まるで弁護士会の意見として採択され発表される。ほとんどの国民は弁護士の総意であると誤解している。と北村弁護士はいうのである。

実際は、弁護士会が組織として「死刑廃止論」を打ち出すことに賛成する弁護士は少数派である。とも断言する。

しかし、多くの国民は確かに、弁護士のほとんどが、「死刑廃止」論者だと思っていることは間違いない。弁護士は社会を欺いているのだ。

弁護士は被害者の立場よりも、加害者の立場に立つ。何かと言えば、「加害者の命を国家が奪っていいのか」「加害者の人権はどうなる」少年に至っては「更生の機会を奪うのか」などだ。

人の命を奪っておいてよくも言えるものだと思う。

2人以上殺さなければ死刑にならないという不文律も納得できない。無関係の無辜の人間を殺すなど無条件で死刑であるべきだ。一人や二人の問題ではない。殺された被害者・遺族を暗黒の世界に送る権利がどうして容認されるのか理解できない。

誰が見ても殺されて当たり前のような人間もごくまれにいる。あるいは利害関係が存在した殺人事件であれば、そこには正当な裁判による判決があってしかるべきだが、無差別、無関係の人の命を奪った人間に対する情状など不要である。

「江戸時代は、仇討ち、つまり復讐が認められていた。武士たる者、親や兄弟を殺されたら、自分の力で復讐するのが当然だと考えられていた」
これが、人間の本来の心情であり真理である。
時の変遷とともに不変であるべき「真理」が「人権」なる思想の浸食により何が真理であるか見えなくなってきている

教師が聖職と言われた時代があった。今やその誇りや使命感は雲散霧消し影形すらない。同様にして弁護士、いかなる使命感をもって先生と崇め奉られる存在であるのか。胡散臭いといわれる人間が少なからずいる。

会とつく団体につきものの小さな癌もどき。病巣は小さいながらも徐々に全体を蝕む様はまさに弁護士会もその類型にもれない。

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Posted by 秀木石