台湾考2
Vol.1-08 台湾考-2
2020.01.22
もう十何年前になるが、ジジイはアメリカに3か月ほどホームステイしたことがある。たまたま親しくなった台湾人に聞いたことがある。「独立か中国併合か」どちらを望んでいるのか?と。
父親は中国を相手に商売をしており、生きるために経済的恩恵は切れないという。今の自分は決心がつかない、と苦しい胸の内を語ってくれた。悩ましいが、それが本心だろうと思った。
今はどうしているのか、時々思い出すことがある。
その台湾、ご存知の通り、日清戦争後、50年に及び日本が統治した時代がある。
日本が大東亜戦争(太平洋戦争)に敗れ台湾統治は終わった。その後、中国の国家元首であった蒋介石が、内戦の末、中国共産党・毛沢東に敗れ台湾に逃れて台湾を統治しはじめたのが、ジジイが知る近代の台湾。
その後、中国共産党でも台湾でもない、不安定な統治が続くことになる。
その後、現在のような普通に直接選挙が行われるようになったのはほんの23年前(1996)のことである。今回の選挙で再選された「蔡英文総統」は「李登輝総統」から数えて4人目、まだまだ短い歴史だ。
幸いにして今回の選挙でかろうじて民主主義(民進党)が維持されたものの、人口23百万、九州ほどの小さな国である。アメリカのバックアップはあるものの、台湾を自国の領土であると主張する中国が、強大な軍事力と経済力の前に果たして耐えきれるのか心配である。
現に4年前、蔡英文氏が総統になってから、台湾と断交してきた国が6か国にもなる。現在、国交のある14か国も名前さえ知らない小さな国ばかりだ。さらに、国連にも加盟できず、人道的にも必要と思われる世界保健機関(WHO)へのオブザーバーとしの参加すら中国の反対によって許されないのだ。
今尚、台湾は荒れ狂う大海の中でかすかに見える光を求めて彷徨う小舟のようだ。
この難事に日本は何故、手を差しのべられないのか。その理由は昭和53年の日中平和条約にさかのぼらなければならない。
平和条約を結ぶ際、中国は「台湾が中国の領土の一部であると重ねて表明した」
これに対し
日本は「中国の立場を十分理解し、尊重する」という立場を堅持する。というぎりぎりの表現で何とか条約は成立した。
この条約がもとで、独立国台湾としての外交ができなくなってしまった。
当時の日本としては、中国との国交優先が第一課題だったのであろう。
ジジイは政治家にはなれん。親日台湾を見捨てるという選択肢は考えられないだろうから。