独・慰安婦像撤去

世界 日本 雑記

Vol.1-10.11-271    独・慰安婦像撤去
2020.10.11

ドイツに設置された韓国慰安婦像の撤去が決まった。

メデタシ メデタシなのだが、これはあくまでも公共の場での撤去で、私有地に設置された像は難しいのが現状である。

しかし、いつものことだがどこまでも「反日が彼らのパワーの源泉」とするならば、反日が彼らの日常から消え去った時、韓国はどこへ行くのだろうか。ちょっと心配してしまう。

それにしても文在寅政権、今、法務大臣曺国氏を始めとする「側近たちの不正疑惑」「北朝鮮による韓国人殺害問題」「ファーウエイに関連した経済問題」「反政府デモ」「GSOMIA破棄で米国と軋轢」「日本との徴用工裁判」まるで「盆と正月に祭り」が3年分一気に来たような賑わいである。

この忙しさの中でもWTO事務局長の椅子を確保しようと世界中に外交攻勢をかける執念は大したものだと思う。この韓国の地球儀を俯瞰した世界戦略と行動力は日本は見習うべきである。

その原動力は反日だと思われるが。この慰安婦像問題、はたして日本が逆の立場で考えて、事実と異なる象徴的な像を相手国を貶めるために、世界中に建てることが出来るだろうか。かなりのパワーがいることは間違いないが、どう考えても日本人にできるとは思えない。

この違いはどこから来るのであろうか。

韓流ドラマが以前ほどでないにしても主婦層に根強い人気を博している。当然の如くドラマには性善・性悪、喜怒哀楽、生き方、人間の心理描写が色濃く映し出されるはずである。そこには感情移入できる類似性があっての人気だと思われる。

現代ドラマは瞬間的にしか見たことがないので詳しくわからないが、決してかけ離れた心情で描かれているとは思えない。

しかし、決定的に違う何かがあるという確信がどうしても消えない。

そう考えた時、以前読んだ「WWUK × 呉善花」の対談本に理解への糸口があることを思い出した。

いわゆる長い韓国の歴史の中で醸成された「恨の文化」である。

韓国出身の呉善花氏が語っていた、日本人と韓国人の決定的違いは、「恨文化(韓国)× もののあはれ(日本)」であると。

※ 韓国人「自分=純粋=善」という基本的考え。自分に害があると、こんなに一生懸命生きているのにどうして、となる。
花なら年中粘り強く満開でなければならない。

※ 日本人「消えゆくものにも美しさを感じる」。何か悪いことがあっても、仕方ないさ、そんな時もある。水に流すということもある。
例えば桜、つぼみ、満開、散り際、散ったあとの葉桜を楽しむ。あるいは枯れ枝にさえ美しさを見いだす。

この違いは大きいという。その「恨」、懸命に生きた韓国が何故小国の日本に植民地(?)に?あり得ない。恨みは根強く1000年も続くと言うことだ。そこに韓国独特の家族主義が絡む。自分の体験でないのに終わりなく続き、世代を超えるたびに拡大生産されるという。

話を戻せば、今回撤去に成功したのは、日本の粘り強い過去の歴史の説明。韓国内でも慰安婦問題が捻じ曲げられている現実が一部の識者から指摘されていることや、慰安婦団体の不透明な会計処理が浮上した経緯を説明するなど地道な努力が功を奏したものと思われる。

こんな動きを韓国に事前に察知されないように極力公表を避けつつ行動したのも良かったようだ。
いずれにしても、戦時下における女性への性暴力を非難し、女性の人権を訴える名目で慰安婦像設置を続けてきた韓国側の手法が、国際社会で通じなくなってきたと言うことだ。

韓国国内ニュースは
「ベルリン市民から愛された象が、10日もたたず撤去の危機に追い込まれた」と歪曲されて伝えられる。反日意識を強引に世界で広めることによる韓国のイメージダウンなど端から考えないのだろう。何せ「自分=純粋=善」これはもう血である。

憐れなり「恨の文化」と切り捨ててもいいが、隣国である。何とかならないものかと思う。