幸せのデジタル化

日本 雑記

Vol.1-10.22-282   幸せのデジタル化
2020.10.22

菅義偉政権が2021年の創設に向け検討を急ぐデジタル庁は、諸外国に比べ遅れてきた行政のデジタル化やオンラインによる診療・教育などが優先的に進めるとする。日本のデジタル化の遅れは省庁の縦割り行政に起因するといわれるが果たして、強固な縦割りを崩せるかが成功の鍵だ。

それにしても、あくまでも個人的な感じ方だが、今までの菅幹事長時代、菅幹事長の体から発するエネルギーは率直に言って、デジタルには馴染まない感じさえした。また、仕事ぶりはスピードよりも堅実のイメージが強く匂った。しかし、菅政権が発足してみると、安倍総理を踏襲するとはいうものの、矢継ぎ早に出した政策を言うだけではなく、実行に移す速さには驚きである。

早くもデジタル庁である。イメージを遥かに超え、まさにデジタルな動きだ。
早速、IT分野に詳しい平井卓也氏を「デジタル担当相」に抜擢、動きはデジタルに動き出した。

平井卓也デジタル改革担当相は
「省庁の壁にとらわれず、前例にとらわれず、国民にとって何がベストか考え、霞が関に新しい風を皆さん自身の手で吹き込んでもらいたい」と「デジタル改革関連法案準備室」の始動にあたり、職員約50人に発破をかけた。

デジタル化に向けた動きは人材が間に合うのかと心配するほど早い。
行政書類などの印鑑廃止はいいと思うし、行政書類などのやりとりや、提出書類などがデジタル化されれば大きな無駄の排除にはなる。

当然のごとく、学校教育のデジタル化も重点的に進められる。家庭との連絡などはメールなどの活用で済むならとても便利であろうし、小学生を持つ親世代はほとんどがスマホを持つ世代、問題ないと思われる。ただ、そうでない家庭もある。それは紙を残すことで解決するのであろう。

ジイなどが心配するのは学校現場で一人1台のパソコンが提供されることになると、自分の手で字を書くことがほとんどなくなることを心配してしまう。もうすでに鉛筆の持ち方も様々、美しいペンタッチを見るのはまれである。

そのうち、日本語が持つ美しい縦書きが消えてしまうのではないかとジイなどは余計な心配をする。パソコンがあれば辞書を使わなくなることも考えられる、辞書の引き方もわからない、そんな子供が生産されないことを祈りたい。

パソコンも、ポケベルも、携帯もない時代。唯一電話、手紙、あるいは駅の伝言板が友達や恋人同士の連絡に使われた。ポケベルの時代「ポケベルが鳴らなくて」なんて言うドラマもあった。平成の時代、昭和が古い昔のように言われたが、令和は平成すら昔の領域に追いやる勢いである。

はたしてスマホ時代。ある女性は「スマホがなければ1日過ごせない」という。もし、スマホが故障した、スマホを忘れた時の衝撃は想像を絶する。道を歩く女性の多くが、まるで「スマホ命」とばかりに胸の前に大事そうなに持って歩く姿を目にする。1秒たりとも離れられない姿に、空疎な哀れさを感じる。

便利さの代わりに失くしてはいけないものもあるということを、特に教育現場において子供たちに教えていただきたいと思う。

コロナ禍でステイホームを余儀なくされた孤独な時間は、人と人が語りあう大切さや、何気ない会話で過ごした友達との時間の大切さ、無駄と思えた会社の同僚と過ごした時間が、実は生活を豊かにしてくれた大切な時間であったこと教えてくれたのである。

人と人の交わりこそが豊かになる源泉である。デジタルになって無機質な時間を短縮することによって生みだされた時間が、友達同士の遊びや会話、先生と生徒のコミュニケーション、あるいはデジタルで賄えない豊かなアナログに生かされることを願いたい。

たまたまつけたラジオの話だ。
「今の時代すべての新聞がデジタルで見られる。しかし、デジタルで見えない情報が紙にはある。あるいは、大きな紙面の中には重要度によって大きな字の記事もあれば、ほんの小さな記事、あるいはデジタルにのらない面白い記事も紙の新聞であれば俯瞰しながら見られる」
う~んなるほどなと聴いた。

読み終えて無造作に投げ捨てても気にならない。思い出したように手に取ることもできる。時には小包のクッションにも、新聞は実に便利である。

「スマホ命」もいいが、「沈む夕日の美しさ」に感動して見入ってしまう心の余裕を、デジタル化が生み出してくれれば最高なのだが。、、、そんなバカな高望み、、、くそジジイの、と誰かの声が聞こえた。