何故急ぐ・選択的夫婦別姓

日本,雑記

Vol.1-12.6-327   何故急ぐ・選択的夫婦別姓
2020.12.6

『旧姓を使えないことが結婚後の生活に支障になっている』
旧姓併記は昨年から使えるようになっている。どんな事例があったのか聞かせていただきたい。

今回、急に出てきた選択的夫婦別姓問題。早稲田大学法学学術院教授、弁護士である棚村政行氏が選択制夫婦別姓をリードしているようだ。

その棚村研究室の世論調査の<調査の結果>である。
◆「自分は夫婦同姓がよい。他の夫婦は同姓でも別姓でも構わない」が35・9%。
◆「自分は夫婦別姓が選べるとよい。同」も34・7%。
◆「自分は夫婦同姓がよい。他の夫婦も同姓であるべきだ」14・4%
で、法改正への賛成派が7割にのぼると分析した。

保守系で選択的夫婦別姓制度に賛成しているのは、小泉進次郎環境相、野田聖子、橋本聖子、稲田朋美氏だ。

旧姓を使用すると言うのは古臭いという考えもあるようだが、これは論外。そのような感覚で判断するような軽い話ではない。

選択的夫婦別姓に賛成するマンガ家の意見があった。
「結婚で改姓をするのは、現状では女性が多いですよね。親や子どもと苗字が違う人は、女性を中心にたくさんいます。議員の発言を知って、『今いる人たちのことが見えてないのかな…?』という気持ちになり、マンガを描こうと思いました」

「もともと、選択的夫婦別姓について、『家族の絆がなくなる』という反対意見があるのがひっかかっていました。今でも苗字が違くても仲の良い家族は当たり前にいます。また例えば、同棲カップルが『苗字が違うので、この人関係ありません』とは言わないですよね。いろんな立場の人が存在する中で、『苗字が同じだから絆がある』って言い切るのは、ちょっと違うんじゃないかな、とわたしは思っています」

「わたしが『こうしなきゃいけない』『すべきだ』と思い込んでいたことが、海外では別の方法・考えが当たり前に機能していることがあります。わたしは、他の国(中国)の人の話を聞いて、『こんな考え方もあるんだ』『これも大丈夫なんだ』と知って、気楽に感じさせてもらったり、ハッピーな気持ちになったりすることがよくあるんです」

と他国とは中国のことのようだが、近くてもこれほど違う民族がいるのかと思うほど中国と日本は違う。仏教、漢字、漢詩、論語など、中国を通して学んだことは数多くあるが、こと人間の考え方や文化がこれほど違うのもまた驚きである。

あのハンチントンが文明を分類するのに苦労したのが日本だ。中国とあまりにも近く、顔かたちも似ている。しかし、どう分析しても文明の違いは歴然と確信し、日本文明を別とした。

マンガ家さんの話で、中国はこうだからと言って、日本を同軸に置くことこそナンセンス。他国に迷惑をかけない問題において何も他国と同じにする必要はない。

余計なことだが、「違(ちが)くて」という日本語はないと思うが、文字を職業にする人は注意した方がいいと思うが。それはさておき。

改正賛成派の意見に多いのは
1、改姓を強いられる女性ばかりが不都合を担っていて不平等だ
2、結婚で姓が変わることは女性にしかわからない大変さと苦痛しかない
3、個人は自分の意思に反して自分の氏名を奪われない権利がある
4、女性が姓の選択権を享有し又は行使することを害しており、民法でいう女性に対する差別だ。
5、夫婦同姓なのは日本だけだから
6、女性の社会進出が進んでいるから、、、等々だ。

ここには夫婦という観念はない。あくまでも「私」である。公とは論点が違うが、日本人に「公」という意識が希薄になるにつれ、「私」の権利が強調されるようになった。家族でも夫婦でもない「個」=「私」である。

当然「子」も今回の選択的夫婦別姓には考慮されていない。

反対派がもっとも意識するのが、子供である。納得も選択もできない子供が置き去りにされている。日常的に子供の虐待が頻繁に行われている今日、考慮外は当たり前の感覚になったのか。

今年、たった一人の党になった党首は、以前、夫婦別姓は当然だが、子供も一人の人間であるとし、当然個人のアイデンティティを尊重しなければならない。として、籍を別にするような話を聞いた気がするが、ナント飛んる人かと思った記憶がある。当然夫婦は別姓、確か籍も別だと思う。

同じように、「家族という病」という本を出した元NHK出身の作家がいた。家族の大切さ、素晴らしさ、絆を説くならまだしも「家族は病」だという。不幸な人生を送った人でないと書けない本だ。家族を根底から否定し、日本国民にエールを贈るどころかどん底に突き落とすことが作家のやる仕事かと思ったものだ。

しかし、保守系に徐々にそんな意見が増えてきたということは、日本全体に、家族や公と言う意識が希薄になってきたのは事実であろう。

日本と言う国としての在り方。今でいうアイデンティティというものの中に進歩的考えをしなければ時代遅れになるというような強迫観念にとらわれていないか気になる。

いずれそんな時代が来るにしても、日本と言う国がどういう歴史を辿って、何を大切にし、今後何を拠り所として日本人として生きるのか。そのことを国民すべてが理解し共有した上での選択的夫婦別姓であれば何も言わない。

政治家はもっと日本を語らなければならない。
教科書を主に、日本の歴史、日本の芸術、日本の芸能、日本を語れる日本人の育成が急務である。

道徳の時間なんかには「日本を語る」時間を作り生徒に日本をいっぱい語らせるのである。日本を語れるようになれば、日本に誇りも生まれよう。英語覚えれば日本を発信することも出来よう。それが国際人としての発芽である。

日本を語れずして強靭な国際人になれないことを国民に向かって常に発信しなければ政治家としての意味がない。

日本人がもっと日本という国を理解すれば、選択的夫婦別姓などは自然に解決されるだろう。

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Posted by 秀木石