“ 青い星 ” に生きる

日本,雑記

Vol.1-12.16.337   “ 青い星 ” に生きる
2020.12.16

NHK番組「ダーウィンが来た」をよく見る。

そこには動物たちの知らざれる生態や過酷な生存競争が映し出される。長期に及ぶタフな取材からの映像は見ごたえがある。一つの家族を通年で追うようにして物語が展開していく。

その映像からは生きるために強いものが弱いものを食べる。自然界では当たり前の弱肉強食の世界がある。それが自然社会の過酷な現実である。

その生存をかけた命のやりとりを人間は残酷と表現することもある。

しかし、そう言う人間が最も残酷である。とうの昔から、陸、海、空を飛ぶ鳥まで、あらゆる動物を食する人間は、弱肉強食の頂点に立つ残酷な生き物であると言わねばならない。

しかし、そこは言葉を持つ人間である。
高倉健の「お命、いただきます」ではないが、食する前には「(命)いただきます」と、あなたの命でわが命を生き延びております。と免罪符となる挨拶をしてからいただく儀式をもっている。

その人間も同じ動物として闘いの中にあったと思われるが、人類はいつどのようにして人間になったのだろうか。

人間は、霊長類に属しそのなかから分化して現れてきた生物だと考えられている。およそ1億年から7千万年前、地球上に最初の霊長類が現れた。その後現在の人間まで1億年の経過がある。

その1億年前から気の遠くなるような時間を経て、ネアンデルタール人や北京原人など人間の姿として歴史で習うのは50万年前の姿である。

我が日本の歴史で人間として歴史に載るのが紀元前14000年前の縄文時代のご先祖になる。

遥か遠い昔から時を経て今日、宇宙と言う広大な世界を50億キロも旅する時代となった。

西暦2020、人類の発生が500万年前とすれば人類歴史年表で2000年は点にも満たない短さである。

その点のような短い歴史の中での進化は想像を絶する速さである。
その昔、人間が著しく発展する起点となったのは、他の動物と大きく違う大集団で生活を始めた時と推測される。

高い知性を指向する選択性が働き、考えることから脳が発達、他の動物と際立った違いを見せるようになったと思われる。

さらには感情の発達、他の動物にない涙に笑い、物をつくり出す能力が育ったのだろう。

その後、大集団は知恵をつけ秩序だった生活へと発展をとげたのではないか。人間同士が殺し合いをしないで済むためにとりあえず大集団は長い時間を経て現世に近い国という形に導いた。

秩序を発展させた人間は、国と国とが無為に殺し合うことを避けるために国際上の規約を作り、高度な国際環境を目指した。しかし戦争という最後の政治決着は消えず、とりあえず一般市民保護の目的で戦争法なるルールを持つに至った。

しかし人間の欲望は止まるところ知らず、ついに世界を二分する大戦争が起きる。
大量に殺戮できる人類史上最強の武器、原爆が開発された。試したくなるのが人間の性だ。その破壊力は世界を震撼させた。

原爆は人類を消滅させると悟った人間は使うことより、抑止力として保有することに力を注いだ。

それ以来、原爆を大量に持つことが、国力のバロメーターとなった。

最強国家になるために競って作った原爆、お互いの破滅を想起させるに至り、今度は軍縮に方向を変え互いが牽制し合う時代となった。

近未来、闘いはいよいよ宇宙にその場を移そうとしている。
宇宙はすでに宇宙ゴミが散乱し、平和な空間ではなくなりつつある。
未来は宇宙からの一撃で国家が消え去る戦争となる。

すべての動物の頂点に立った人間の歴史は常に闘いの歴史である。

マクロの世界からミクロ世界にフォーカスすれば、小さな星で今コロナ禍で右往左往する人間の姿が浮かび上がる。

宇宙感覚で地球を見れば、奇妙な感覚に陥る。

無限に広がる宇宙の中に、ひときわ青く綺麗に光る星がある。。
その星の中で生きる人間の様々な姿は青い光の中に想像されるだけだ。

その美しい地球を見ていると、現実に起きていることがどうでもいいような小さなことに思える。

しかし、地球上の現実は確かにある。

小さな街の小さな家に引きこもり、コロナウイルスの脅威におびえながら、ささやかな夕食を楽しむ家族がある。
渋野日向子の全米オープンを残念がってホット焼酎に酔う、ある団らんがあるだけだ。

広大な宇宙に浮かぶ青い星、その中の塵にも満たない命が紡がれている。考えてみれば不思議である。

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Posted by 秀木石