眞子さまの結婚

日本 雑記

Vol.1-12.25-346   眞子さまの結婚
2020.12.25

当初、小室圭さんなる人物が眞子さまのご結婚相手として浮上した時、確か「海の王子様」という好意的な形容詞で呼ばれていたように思う。

容姿も決して悪くないし、うまく行けばいいなあ、と漠然と好感をもって受け止めていた。一般の反応もそのようであったように思う。

しかし、いろんな情報が入る中、よからぬ家庭事情を週刊誌を中心に報じられるという、皇室にはなじまない環境へと発展した。

本来ならその時点でこの話はボツとならなければならない話だ。
それが、皇室という、いわゆる日本の天皇家のあるべき姿と日本人の誇りと、血統の重みに鑑みた結論である。

でなければ、2700年にも及ぶ男系で紡がれた皇室が今に存在すること自体あり得ないことである。それほどに、皇室の担う日本国の頂点に置かれた役割の厳しくも崇高な立場というものは血統という一途な生き方により維持されてきたのである。

初めて民間から嫁がれた美智子さまも、紀子さまも、誰もが諸手を上げて喜びに心から拍手を送った非の打ちどころがない方だった。

とりわけ紀子さまの年代において、「テレビは見たことがございません」と日頃の清楚な生活を語られた時、多くの国民は驚きと同時に現代における奇跡のような方でまさに皇室にふさわしいと直感したのではないか。

この度の小室圭氏との結婚話は、巷にはびこる俗っぽい話が飛び交い、皇室とは本来ほど遠い話で、結婚に進むような話ではない。

ところが、そういかないところに今日の皇室の変容が伺える。

1、2年前に秋篠宮殿下の大嘗祭や宗教分離など政治的発言から今までとは明らかに違う皇室の変化が危惧されるようになった。

その秋篠宮殿下は、今回の眞子さまの結婚について、
「結婚と婚約は違いますから、結婚については本当に確固たる意志があれば、それを尊重すべきだと私は思います」とお話になられた。

眞子さまは
「私たち2人がこの結婚に関してどのうように考えているのかが伝わらない状況が長く続き、心配されている方々もいらっしゃると思います」

「足したちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きて行くために必要な選択です」

「結婚に向けて、私たちそれぞれが自分の家族とも相談をしながら進んでまいりたいと思っております」

竹内久美子氏(動物行動学研究家)はこれらの一連の発言を聞いて「皇室の結婚」と「一般人の結婚」を、秋篠宮殿下と眞子内親王殿下が同一視されてお話しされていることに愕然とした。と発言。

竹内氏は、国民が感じている皇族のあるべき姿がまるで巷にある結婚話のたぐいと同じようなレベルになっていることへの驚きと危機感を感じたのだ。

言葉は、皇族らしい言葉でお話になっておられるが、語られている内容は巷の結婚話と何ら変わらない内容である。

竹内氏は
「皇族であるということは過酷な義務です。生活は保障されるものの、自由もなければプライバシーもなく、資産を持つことすら許されません。皇族は「公」である代わりに「私」を持ち合わせない。そうして四六時中、日本の国家国民のために祈る。―――それこそが皇室という存在であり、皇族に課せられた義務です。

とおっしゃっている。ジイも同感である。

宮内庁は常に皇族の警備や身辺の監視を続けていたと思うが、何故お付き合いの段階で相手の身辺調査を怠ったのか、信じられない怠慢である。

一般人であってもそれなりに社会的影響力を有するご家庭であれば一応調べるのではないか。

現上皇であられる平成時代の裕仁天皇の教育係として小泉信三氏がおられた。

小泉信三氏は、経済学者でもあるが、東宮御教育常時参与として皇太子明仁親王の教育の責任者となった人物である。

戦後、GHQの厳しい取り調べで大学教授らが公職追放される中、小泉信三はアメリカとの戦争に至った中での己の立場の説明を求められ、

「ある船の乗組員が、台風に近づいていて危険だから出港すべきでないと訴えたにもかかわらず、出港するべきと言う者が多数で、結局港を出た。そして大嵐にあって浸水した時に、自分は出港に反対だったといって、他の乗組員が水かきしているのを手伝わずに、船の転覆と自分自身の溺死をただ待たなければならないのか。出港に反対したからといっても、船上での緊急の勤めを行うべきだ」と発言。

その後も、たびたびアメリカ軍の取り調べを受けたが、筋の通ったぶれない軸を持って応対し、ほとんどの大学学長が戦争責任を問われて退任した中で、信三は公職追放にならなかった方人物である。

信三は皇太子殿下の教育として、福澤諭吉の「先ず獣身を成して後に人心を養う」という言葉を大切に一つのスポーツに精進することは、人の心を鍛えると考えていた。

フェアプレーの精神を重視し、殿下を特別扱いすることなく、打ち損じたボールが水たまりに入っても殿下自身が拾うように指導した。

殿下に勝負の厳しさを教え、さらには知識を詰め込むことだけではなく、知力と体力のバランスが人格形成の重要だと考えテニスを通じて自分の判断、意志、希望が正しく強いものになるよう指導。

信三の講義メモには「人の顔を見て話をきくこと、人の顔を見て物を言うこと」「グッドマナーの模範たれ」というように行儀作法、気品についても指導したという。

小泉は、この道徳的背骨を、未来の天皇である皇太子に求め、「責任」「君徳」が重要であること、「人格」「識見」や「勉強」「修養」が国家の運命を左右することを皇太子に説き、皇太子に強い影響を与えた。

皇族とはいかなる人間でなければならないか、こんな筋金入りの教育が今行われているのかいささか疑問を抱かざるを得ない。

畏れ多くも、今回の秋篠宮皇嗣殿下のご発言から皇族たるべき立場の生き方というものの存在、さらに神秘性の根源をどう理解せられたのであろうか。

2700年間続く皇室の歴史は、天皇の父親をたどると神武天皇に行き着くという、まさに神秘的な血統の凄さ、少なくとも現上皇までは感じることができた。

それはひとえに民間から皇室に入られた美智子妃のたぐいまれな人格に帰することが大きかった。

もともと皇族としておられた方は、生まれた時から血が皇族に馴染んでおられる。しかし民間人としてその血に畏怖を抱きながら己の血として体内に取り込むには一滴ずつ、それこそ血のにじむような精神修養と気の遠くなるような静寂に耐えることであったろうと想像する。

でなければ、2700年の伝統を支える結び目になることなど出来ないはずだ。その意味において美智子上皇后は皇族以上に皇族の血を極めた方であろう。

今回の問題は、眞子さまの結婚問題にあらず、日本の根源的支柱が今揺らいでいると感じる。