“ 勝 ”

日本 雑記

Vol.2-1.14-366     “ 勝 ”
2021.1.14

昨年末、毎年恒例の今年の漢字が清水寺・貫主 森清範氏によって本堂舞台にて揮毫されたのが「蜜」であった。

年が明けて、「新年の一字」が、ダウン症の書家・金澤翔子さんによって「勝」が揮毫された。

昨年の「蜜」はまさにコロナ禍をそのまま表現した字であった。

今年の「勝」はそのコロナを克服し、勝利の先に見える希望をイメージしている。翔子さんの力強い「勝」は、どんなことがあっても負けない。まるで100人もの仁王さんがこの「勝」の中に陣取り、弾けんばかりの力でコロナを睨み付け、ふんばっているような字にみえる。

これ以上の「勝」はないのではないか、とさえ思う。

かつて、書家・榊獏山先生が、熊谷守一という画家が墨で丸を書いただけの「円相」を「墨の美」として絶賛したことがあった。

字相は違うが、翔子さんの字をみて、同じように香り立つ無垢という匂いに熊谷守一を思い出した。

熊谷守一のアトリエは豊島区千早にあって、今は「熊谷守一美術館」になっている。ジイはそこで獏山先生が絶賛した「円相」を見たいと思って行ったことがあったが、円相はなかった。

画家ではあるが、書も残している。

熊谷守一は長いひげを伸ばして、庭で虫を見ていれば一日過ごせるという、一風変わった人間だった。風貌も仙人のようで澄み切った目はまるで子供のような純真さを思わせた。

その姿や、澄み切った心の在り方が、ふと金澤翔子さんとだぶったのだ。

金澤さんの「勝」はコロナ禍を克服した先の希望へのメッセージだが、お母さんの泰子さんは、翔子さんの人生もそうあってほしいとの願いがある。

泰子さんは35年前、翔子さんがダウン症と知った時「将来を憂い、悲嘆に暮れて運命を呪った。祈ることしかできなかった」と話された。

父親は翔子さんが14歳の時に急逝。残された母と娘。母泰子さんは、5歳の時から始めた書道を毎日欠かさず続けさせたことが功を奏し、20才での個展が大きな話題を呼び花開いた。

一躍人気書家になったが、お母さんの心配は自分が亡くなってからの翔子さんの将来だ。一人でも幸せに暮らしてほしいという切なる願いがある。そのための布石はうちつつあるものの心配はつきない。

翔子さんの幸せは、愛する母と地元商店街の人々と過ごす楽しい時間だという。

人生には必ず終わりが来る。しかし、母の願い通り、自ら書いた「勝」の字の如く、人生に勝ってほしいと願う。

安心はできないが、「勝」そのものが翔子さんのようでもあり、何よりも心強いのは、地元商店街の人々の翔子さんを見守る温かい目である。

翔子さんは、母泰子さんの娘であると共に商店街皆の娘でもあり、宝でもある。

生まれた時呪った運命は、今、久が原商店街から世界へメッセージを出すまでになった。

もう、「日本の宝」と言ってもいいのではないか。