2.22・竹島の日

世界,日本,雑記

Vol.2-2.22 405   2.22・竹島の日
2021.2.22

2月22日は島根県が条例で定めた「竹島の日」である。

竹島の不幸は、韓国と北朝鮮が朝鮮戦争を戦う最中に起こった。

サンフランシスコ条約が発効する直前の1952年1月、アメリカが発効まで一時的に日本の施政権範囲を設定していたマッカーサー・ラインに倣い、一方的に李承晩・初代大統領が海上にラインを設定し竹島を韓国側水域に含めたのが始まりである。

以後69年、韓国の不法占拠が続いている。

外務省のホームページを見れば、

(1)竹島は、敵視的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに日本固有の領土です。

(2)韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。

(3)日本は竹島の領有権を巡る問題について,国際法にのっとり,冷静かつ平和的に紛争を解決する考えです。

とまあ、当たり前のことをたんたんと説明しているというだけの印象を持つ。この説明から何としても取り返さなくてはならないという強い情熱は感じられない。

島根県隠岐の島町議の・前田芳樹氏のよれば、もう15年も竹島の日に記念式典を開催しているが、政務官が「竹島を取り戻すために頑張ります」と、気の抜けたビールのごとし言葉をいただくだけだという。

誠におっしゃる通りである。

日本の領土を「不法占拠」されている現状は北方領土と変わらない。その北方領土は「北方領土返還要求全国大会」が、内閣総理大臣や外務大臣など政府代表、衆参両院代表や各政党代表らの出席のもと開催されているのである。

前田町議は「国家が国土を保持するのに島の大小は関係ない」と言うがその通りである。

その違いはどこにあるのか。

見るからに、島とまでは言えない程の2島と37の岩礁で全部合わせて東京ドーム5個程度の広さになる。

明らかに、北方領土との違いは歴然だが、町議の言う通り島の大小ではない。戦前は竹島への漁業で潤っていた。何よりも日本が竹島を保持していれば、広大な排他的経済水域が日本のものとして活用できたのである。

大雑把に言えば、海岸から200海里≒370kmの範囲において、海上・海中・海底、及び海底下に存在する水産・鉱物資源並びに、海水・海流・海風から得られる自然エネルギーに対して、探査・開発・保全及び管理を行う独占的に行使できる権利を有するのである。韓国の占拠により、特に島根県などは莫大な経済的損失を被っていることになる。

町議曰く、この竹島を取り戻すチャンスが3回はあったと言う。

<1回目>
昭和26年、竹島を日本領と認めたサンフランシスコ講和条約。
・・・→この時、魚師たちは命がけで操業した、しかし政府の支援なく竹島は取り戻せなかった。

<2回目>
昭和40年、日韓基本条約の締結。
・・・→国交正常化を優先。韓国に多額の援助資金を払った上に問題を先送りされ住民は落胆。

<3回目>
平成11年の「新日韓漁業協定」。
・・・竹島周辺海域を「暫定水域」とした。そのため、韓国漁船に漁場占拠を許す結果となった。

以上の如く、竹島はことごとく政府に見放された状態である。
2月22日が島根県条例でなく何故「政府制定」の「竹島の日」にならないのか。
まさしく、戦中戦後の韓国と日本の関係を象徴しているように思う。

いま問題化している「慰安婦問題」「徴用工問題」その端を発する「韓国併合」を植民地支配と考えた贖罪意識が戦後の日本の精神を蝕んできたのではないかと考えられる。

在りもしなかった「慰安婦強制連行問題」をあやふやにして、韓国の言うがままに迎合し、莫大な戦後補償を払ったにもかかわらず、何度も慰安婦で金をとられた。竹島も戦後補償の一部として意識の中あったのではないかと推測する。

日本政府の煮え切らず、緩慢な動きを見るとそう思わざるを得ない。

今日の産経新聞「産経抄」にあった。

「竹島問題の起源」の著者・藤井賢二氏は『竹島問題でもっとも奇妙なのは、日韓両国の非対称性だと指摘する。韓国で日本の言い分に理解を示す声が上がることはあり得ない。一方で日本では竹島は韓国領だと主張する出版物は容易に探し出せる』

産経抄ではないが、確かに日本は奇妙な国である。

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