諸行無常

雑記

Vol.3-23-69  諸行無常
2020.03.23

「ああ、無情」ではない。
今まさに世界が無情にも、明日という日が無常であるを実感しているのではなかろうか。
多くの人が、「当たり前の日常」の大切さを実感していることだろう。

3月になれば、当たり前のように大相撲春場所が開かれ、本来なら、館内は優勝がかかった白鵬と鶴竜戦にか盛り上がったはずだ、果たして、今日朝の山の大関昇進は?などなど満員御礼の垂れ幕に相撲協会もホクホク顔であったはずが、観客はゼロ。
優勝セレモニーも味気ないものにならざるを得なかった。観客の声援が如何にありがたくまた、力士と観客が一体になってこその大相撲を皆が感じたに違いない。

こと、他のスポーツも軒並み延期の様相だ。
プロ野球もゴルフもサッカーも延期となった。それに今年最大のイベントオリンピックの開催も世界からの延期要望にどう応えるのか、非常に厳しい状況と言わざるを得ない。IOCバッハ会長は4週間後に結論を出したいと宣言。いよいよビッグイベントの延期が今後の話題となろう。

当たり前の日常が、ある日突然、日常が消える。

ただ、こういう時こそ冷静にならなければならない。
危機的状況の比喩として戦時という言葉を使うメディアもあるが、戦争を知らない世代が大方である。その戦時が思い浮かべば、それこそ2,3日水とパン切れだけで我慢すると言うこと自体、覚悟があればそう大したことではないだろう。全く知らない世代に戦時と言われてもどう対応していいかさえ分からないだろう。

あの、東日本大震災のように目の前に地獄が横たわれば、戦時同様の理解に至り、生きるための覚悟は瞬時に形成されるのが人間である。
政府が、あるいは行政が、メディアがどんなに叫んでも本当の危機感は隣、近所でバタバタ死んでいくような状況が表れでもしないと、究極の覚悟と対応を期待するのはかなり難しい。
しかし、そんな中で日本人は確かによくやっていると思う。

私たちは日頃からというより、教育の中で危機管理というものをしっかり教えていく必要がある。
例えば、良い大人が、今時どこが攻めてくるの?という御仁がいる。
政治家もしかり、少なくとも今の平和の内に事故・災害・近隣の脅威を含め、危機管理授業なるものを小学生高学年から本気でやるべきだとジイは考える。

例えば、世界各国の例を引き合いに出し、日本と比較していくのも良いだろう。
その違いがあれば何故違うのか、その背景を考えさせるような勉強をするのもいい。
憲法一つ変えられない現実をみると、如何に日本人の中に危機意識が希薄であるかがわかる。

日本の先人たちはいつも危機意識があった。

*祇園精舎の鐘の声、¨諸行無常¨の響きあり。・・・(平家物語)
*ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。・・・主とすみかと、無常をあらそうさま、いわば朝顔の露に異ならず・・・(方丈記)

刻々と変わることを常とし、平和であることを大切にしつつ危機意識を同時に持つことではないか。

ところで、ああ、無情「レ・ミゼラブル」がNHKで放送されているそうだ。
無情が描かれているが、当然だが無常とも無縁でなない。

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Posted by 秀木石