イギリスよ!似た者同士か

世界,日本,雑記

Vol.3-10.23-1013  イギリスよ!似た者同士か

2022.10.23

イギリス・トラス新大統領がわずか1ヶ月半で辞任に追い込まれた。

就任当初から、その少々過激な政策に懸念が示されていたが、就任するや否や、減速する景気を立て直すために5年間で7兆5千億円に上る減税策を発表。しかし、財源が不透明だったことで、通貨ポンドと英国債価格が急落、市場に混乱を起した。辞任の声が相次ぐ中、ついに政権維持が困難と判断したようだ。

日本も政権の短さでは大きなことは言えない。1ヶ月半というと昭和20年「東久邇宮稔彦王首相」まで遡らなくてはならないが、それだけではない、「短期政権日本」は<第75代・宇野宗佑首相・在任期間69日> <第80代・羽田収首相・在任期間64日>と2ヶ月そこそこもちゃんと存在する。

イギリス直近の政権も、日本に負けず劣らず6年間で4人の首相が交代した。

日本も安倍首相以前の首相は5人連続で在任期間2年に満たない。確かに世界では、日本の首相の在任期間が短いので顔を覚えられないと皮肉を言われたものだ。それでも安定した政治はそれなりに評価されてきた。ただ、存在感が示せないのは先進国でもダントツであった。

そんなイギリスと日本、似たところがあって何となく親しみを感じる。
◆ 政体は元首を戴く利権君主制で議員内閣制
◆ 車は右ハンドル、左側通行

歴史を見ても明治以降、大事なところで結びつきがある

  • 1868年 明治維新。実質的に明治新政府を支援
  • 1870年 大日本帝国海軍はイギリス海軍を模範とした組織整備を進める
  • 1872年 日本最初の鉄道建設にイギリス人技術者が深く関与、日本最初の鉄道が開業
  • 1896年 アイルランド人のラフカディオ・ハーンがイギリスから日本へ帰化し、小泉八雲を名乗る
  • 1900年 夏目漱石、文部省研究員としてロンドンへ留学
  • 1902年1月30日 ロンドンで日英同盟が調印
  • 1904年 日露戦争。イギリスは日本の戦争公債引き受けなどで支援

何といっても、日露戦争で日本勝利に導いたのは、鉄道が有効に活用できたことに加え、日英同盟の蔭の力が効いた。ロシアは日本と戦いながらもイギリス防衛にも戦力を割かざるを得なかった。

さらに、イギリスは戦費500万ポンドの公債を引き受けてくれた。海軍・東郷の活躍、イギリス、米国の支援があっての勝利であった。

イギリスとの関わりはまだある。明治初期、探検家・紀行作家であるイザベラ・バードが、1878年(明治11年)日本を旅行し「イザベラ・バードの日本紀行(上・下)」や「日本奥地紀行」の著作を残している。

※『日本奥地紀行』には
「私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている」と書き残している。

また、日本へ帰化したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も忘れ難い。

ニューヨークで読んだ英訳『古事記』などの影響で来日を決意し、1890年4月に来日。島根県尋常中学校に赴任、英語教師や早稲田大学で教鞭を執り、松江の士族の娘と結婚日本に帰化。多くの著作を残し、東京大久保の自宅で54歳の生涯を閉じた。雑司ヶ谷霊園に眠っている。

新聞記者、作家などいろんな顔を持つハーンもこよなく日本を愛し日本文化を世界に広めてくれた。

つい先月亡くなられたエリザベス女王と日本の皇室も結びつきは強い。故エリザベス女王は来日時、昭和天皇から大切なことを教わったという。故ダイアナ妃も日本での人気は高い。

現天皇も若き日にはイギリス・オックスフォード大学に留学されている。

英国首相で最も印象に残るのはやはり長く政権を担ったマーガレット・サッチャー首相である。安倍前首相同様愛国心が強く、イギリスを教育から改革した筋金入りの愛国者である。それにふさわしい “ 鉄の女 ” との愛称は彼女にふさわしいニックネームであった。

第二次大戦もイギリス同盟があればと悔やまれる。何かにつけイギリスは重要な役割を果たしてくれた。今後もイギリスとは大切な友人でありたい。

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