戦争とは悲惨と残酷と狂気の中に生きること

世界,日本,雑記

Vol.3-11.25-1046  戦争とは悲惨と残酷と狂気の中に生きること

2022.11.25

戦争が悲惨であることなど誰もが知っている。ロシアが世界の説得をも無視をし侵略した時から、戦争が大いなる無駄であることなどわかっていた。それを承知で侵略したのだ。

ロシアのウクライナ侵攻は9ヶ月が過ぎ、時間と共に狂気が日常となり、平常心が消え、平気で残酷なことが行われる。

その残酷と狂気に耐え、その先にある「自由で平和」にたどり着くために、すべての犠牲が容認されていく。

まだ、先が見えない。見えないが求めるものが崇高であるが故に我が身の犠牲をいとわない。

ウクライナ侵攻が始まり9ヶ月、年を越そうとしている。人々の心は寒い冬と同時に新たな災難、家庭内暴力にも耐えようとしている。

今朝、NHKラジオから流れてきたのは「ウクライナで高まるDV被害」だ。

<NHKワールドリポート>で、ウクライナ市民団体の調査から、戦時下のDV被害の実態が明かされた。

3月 1,600件
6月 3,300件
7月 3,500件

異常な件数である。

侵攻が長期化する中、女性や子供が被害にあう機会が高まっているというのだ。

その2つの要因とは

1、心理的要因 ⇒ 軍事侵攻が市民に与えるストレス、仕事への不安から逃れるために
2、侵攻の後に出回った護身用の銃の存在。近くに銃があることで暴力がエスカレート

ある事例だ、
◆ 父親が銃で家族を殺害、息子が銃を取り上げ、父親を殺すという悲劇があった。

一つの事例であるが、月3,500件の相談があるとは驚きである。

対策としてとられいるのは相談窓口でのメンタルケアだが、しかし、戦時下ならではの難しい問題に直面している。

それは、被害者自身がDVを過小評価してしまうということだ。戦争で次々と若者が命を落としていることを思うと、自分の苦しみなど大したことないと思ってしまうというのだ。深刻である。

同時にウクライナではロシア軍による性暴力もある。現在では、性暴力は戦争の「武器」「戦略」となるという国際的な見方がある。

なぜ「武器」になるのか。紛争下の性暴力被害者の多くは女性だ。女性を襲うことは、「女性を守るため」に戦う敵の男性兵士集団に「守れなかった」と知らしめ、心理的ダメージを与える。そして被害者の女性たちも、性暴力被害を非難され差別を受けてコミュニティーから離れざるをえなくなることが多いという。コミュニティ自体も働き手を失って弱体化する。

攻撃する側される側双方が、女性を「守る対象」、受け身の存在と考えるところに「戦略」が成り立つという。いつの世も戦争被害者は女性と子供だと言われる所以だ。

「日本障害者協議会」のHPに掲載されている詩があるそうだ。

殺し合いでなく話し合いを
侵攻でなく停戦を
停戦でなく平和を

「戦争悪」のすべてを知り、戦争回避の常套句など誰もが知っていることだ。知りながらもそれに勝る言い分があるから侵略するのだ。侵略された側に当然ながら防衛の権利と自国民を守る義務がある。降伏し、“ 命を救え ” という声もある。無抵抗で命を優先すれば、命は助かる。しかし、世界は侵略者のものになる。

命を賭してなお守りたいものがあってこそ人間だとする考え方もある。

露軍占領地では「ザチースチカ」と呼ばれる手法で、軍関係者を洗い出し、拷問・処刑を繰り返している。撤退時には家屋での略奪、レイプ、建物の破壊、地雷を埋めて危険な土地に変えて撤退する。戦時の国際法など、狂気に何の役にも立たない。

ロシアは、投降したロシア兵をウクライナ兵が現場で射殺したと非難した。非難の応酬も戦時の情報戦としてもう一つの戦争である。

遥か遠く宇宙から見る地球は誰もが美しいという。
その美しい星で平和や自由を満喫できない。

世界が  “ ワールドカップ ” での戦いの中にある。これだけでは満足できないのが人間である。

愚かはわかっている。

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