昭和という時代

日本,雑記

Vol.1-4.30-107 昭和という時代
2020.04.30

昨日は「昭和の日」だった。

中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」という有名な句がある。
令和になった時も感じたことだが、「昭和の日」を改めて迎えると、まさしく「昭和は遠くなりにけり」を実感する。

昭和64年1月はよく覚えている。昭和天皇の訃報に接したのはジイが横浜の病院に入院していた時だった。

明治45年、大正15年、昭和64年、平成は31年と改元の歴史の中で昭和が最も長い。ジイは子供の頃、昭和の元号が変わることなど夢にも思わなかった。
ジイのように幼少から青春を昭和の高度成長期と一緒に過ごした人間は「昭和が我が人生」のように思う人が多いのではないか。
平成、令和と変わってもそのまま昭和感覚で生きている。平成や令和は何故か仮の住まいのような感覚がある。

この感覚は主な生活の場がどこであったかということに似ている。
今の住まいが30年以上になる。しかし、休む場所であって交流の場ではなかった。日中は職場が中心だ。

しかるに、子供の頃過ごした田舎での生活よりはるかに長くなったにもかかわらず、田舎の18年がとてつもなく長い年月に感じる。子供が大人になる様々な体験をしながら、人間の機微に触れた濃密な時間を過ごしたということだろう。

出生から旅立ちまでの人との強い交わり、同級生と遊んだ故郷の山や、川との思い出は幼な心に強烈に浸み込んでいる。消そうにも消せない「生きる力」をくれる思い出になっている。

啄木の
「ふるさとの 山に向かいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」と詠んだ心情そのものである。

その成長過程にあった昭和は忘れようにも忘れ得ない時代となった。
時代はまさに激動の時代だった。
戦争という厳しく悲惨な時代でもあったが、敗戦のどん底の中にあっても国民のすべてが、明るさを失わず、満足な食にも文句を言わず、ただ必死に働いた姿は、今思っても涙が出るほど感動である。

たった20年そこそこで世界に肩を並べるほどの成長を誰が想像しただろうか。
昭和は確かに遠くなった。平成生まれがもう31歳だ、後10年もすれば経済の牽引者は確実に平成人の時代になるだろう。

テレビの中にも、昭和の記憶を必死に呼び戻そうと、涙ぐましい努力をしている番組がある。つい見てしまうが、時折切なくなる時がある。
時代は変わったんだな~と実感する瞬間である。

話は変わるが、20年以上に渡って上司のお庭を借り、4月29日のみどりの日にバーベキューを楽しんできた。その会を「みどり会」と名付けた。その「みどりの日」がなくなってもうずい分になるが、会の名前はそのままである。
バーベキューは居酒屋に場所を変えたが、「みどり会」の名はそままである。
そんな思い出も「昭和の日」は思い出させてくれた。

1年は1日の積み重ね、その1年が積み重なり10年、20年、30年と時が重なる。
人生100年と言われる時代になったが、いくつになっても達観できる心境にはない。

行く末短いジイ、今後どう生きるか! なんて考えながらも、改めて昭和に生まれた幸せを実感する日であった。

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Posted by 秀木石