沖縄から学ぶ平和とは

日本,雑記

Vol.5-6.30-1154     沖縄から学ぶ平和とは

2024-06-30

6月23日、沖縄・慰霊の日をNHKは下記のごとく伝えた。

~ 沖縄戦から79年「慰霊の日」平和への祈り ~

沖縄は23日、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から79年の「慰霊の日」を迎え、戦没者を追悼し、平和への願いを新たにする一日となりました。

糸満市の「平和の礎」や「魂魄の塔」では、朝早くから遺族などが訪れ、静かに手を合わせて平和への祈りをささげました。

太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としました。

・・・県内には依然として全国のおよそ7割のアメリカ軍専用施設が集中し、国が沖縄を含む南西諸島の防衛力強化を進める中、自衛隊の新たな部隊の配備や強化も計画されていて、日本の安全保障に伴う沖縄の役割や負担は増しています。

※ 78歳の女性当時の状況について
「米軍が上陸してきたので祖父を中心に避難しましたが、入ろうとした墓にはすでに日本軍が入っていて祖父たちが入ることは許されなかったそうです。糸満のほうに逃げて民家にとどまっていたところ艦砲射撃にあうなどして1人しか生き残りませんでした。母の姉の家族や妹の家族も全滅しました」

そのうえで「今、戦争の足音が聞こえるでしょう。これをどうしても止めたいです。私は自分の身内から戦争の話を聞いているのでそれを伝えるのは義務だと思います」

※ 87歳の女性
「孫やひ孫の成長のためにも世界が平和で」「当時は子どもですからいとこたちと4、5人で逃げなきゃいけなくて、知らない大人の集団に加わろうとすると、泣きわめくので追っ払われました。爆弾も怖いしどこに逃げていいいか分からない。最後は、摩文仁で日本軍の兵隊が14、5人いるところに入っていきました。火炎照射器で攻撃を受けてアメリカ軍に捕らえられました。お父さんお母さんの歳をとうに超えていますが、これから孫やひ孫の成長のためにも世界が平和でありますようにとその気持ちを持っていつも来ています」

※ 沖縄市の吉山米子さん
「・・・79年前のことは今もつらくて口には出せないが二度と戦争はやってはいけない。若い人たちが興味を持ってくれたらうれしいです」

※ 嶺井正雄さん
「戦争が起こらないようにするのが一番の願いだ。子や孫に伝えたいのはこれだけだ」

※ 弟の良雄さん(87)は
「残飯拾いで飢えをしのいで、やっと生きてこられた。その体験を2度としたくないし子や孫にさせたくない。戦争は、ガザやウクライナでもやっているがあまりにもひどすぎる。巻き込まれるのは住民だ」

そして、南西諸島で進められている防衛力の強化について
「自衛隊基地が増えて、沖縄が第2次世界大戦のときと一緒の立場におかれている。真っ先にやられるのは沖縄だ」

※ 那覇市の男性
「兄弟3人は艦砲射撃で、私の目の前で亡くなりました。その瞬間は記憶に鮮明に残っています。毎年、慰霊の日は当時のことを思い出してしまい、つらい。まず、第一に平和を願いたいと思います」

※ 豊見城市の男性
「二度と戦争が起こらない状況に持っていかないといけないが、沖縄に自衛隊を送り込むなど今は逆になっていると、昔の人はこの雰囲気をわかっているのではないか。平和を願うしかない、平和の世の中になってほしい」

※ 那覇市の女性「戦争いつなくなるんだろう」
※ 19歳の女性「たくさんの人が亡くなられた。胸が痛くなる」
※ 那覇市の具志光雄さん「平和を維持してくださいという思い」
※ 那覇市の比嘉芳美さん「亡くなった悲しさ ずっと心の中で」
※ 糸満市の大城英子さん「遺骨山積み 今でも忘れられない」
※ 87歳の男性「戦が二度とあってほしくない」
※ 那覇市の81歳の男性「戦争なければ元気だっただろう」
70歳の男性「毎年 平和の願いをここで」
 志喜屋秀壮さん「戦争ない時代 当たり前でない」
豊見城市の男性「戦争をやったら大変」
大屋初子さん「自分たちの世代で終わりにしないと」
報道写真家 石川文洋さん「平和のこと考えてほしい」

等々、思いは忘れることのできない悲惨な戦争体験、戦争は絶対にしてはいけない。という思いだ。(以上NHKニュースから)

平和を祈る、平和を願う、平和でありたい、二度と戦争をしないで、と口々にする言葉は平和の一語につきる。

その思いをくみ取るように日本は70年間戦争を回避してきた。これは為政者を始め日本国民が平和を強く希求し努力してきた結果ではないか。
(頑張った)自分をほめてあげたい ❞ というメダリストが語った有名な言葉があるが、日本をほめてあげてもいいのではないか。

ただ、沖縄はそう単純には喜べない歴史を背負っていることはわかる。壮絶な本土決戦を経験している上、米国から完全に本土復帰したのが昭和47年だ。終戦から27年も米国の施政権下での生活があった。復帰後も米軍基地の存在、事件・事故にからむ複雑な県民感情があり、今なお本土とは違う戦争被害 ❞ への意識は癒えない。

ただ、沖縄のそういった心情を左翼思想の活動家、メディアが何かと言えば反政府運動の ❝ 場 ❞ として利用しているのも事実だ。

辺野古移設反対運動の居座りも、過激な反対運動も沖縄人より他国・他県の人間がほとんどだと聞く。その反対運動は事故にもつながる過激なものもある。県民の中には ❝ ありがた迷惑 ❞ と思いつつも『沖縄のため』の活動との思いもあって黙認している。

今も、中国というリスクを正面から受ける最先端にある。温暖な環境に海に囲まれた島である。基地を置くには地理的にも適性を得ていることは否めない。そのため国家は基地負担による予算を重点的に付与してきたことも事実だ。

このような複雑な歴史と現実を背負う沖縄、南国の情緒と綺麗な海というリゾートイメージとは裏腹に、政治的匂いを払拭できないのが沖縄である。

因みに第二次世界大戦後、世界では現在進行中のロシアのウクライナ侵略戦争を含め、136件もの戦争が行われ現在も進行中の戦争がいくつもある。ロシア侵略戦争とハマスはその象徴である。

136件と聞いて驚いてしまうが、単純に年数で割れば1年に1.7件の戦争が世界のどこかで発生しているということだ。我々は中東での湾岸戦争やベトナム戦争、現在のロシア侵略戦争など大きな戦争しか頭に浮かばないが、大小を問わず、世界のどこかで戦争は起きているのだ。この事実を重く受け止めなければならない。

沖縄慰霊の日に、沖縄の人が口にした『平和 悲惨 二度と起こしてはいけない 平和の尊さ 戦争をやったら大変 平和のことを考えてほしい 自分たちの世代で終わりにしないと 』
という思いとは裏腹に、過去も今も戦争は世界中で起きている事実を認識しなければならない。

我々は、この70年起きた戦争をどれほど知っているか。
下記に示すのは、現在進行形も含め昭和20年(1945)から今日まで、実際に起きた戦争である。(Wikipedia-戦争一覧より。()内地域はジイの追加)

1945年1949年 – インドネシア独立戦争(アジア)
1945年1954年 – 第一次インドシナ戦争(アジア)
1946年~(継続) – 第二次国共内戦(中国内戦)
1946年1949年 – ギリシャ内戦(欧州)
⑤~⑦1948年1971年 – 印パ戦争(アジア)
・1947年1949年 – 第一次印パ戦争
・1965年1966年 – 第二次印パ戦争
1971年 – 第三次印パ戦争
⑧-⑪1948年1973年 – 中東戦争(中東)
1948年 – 第一次中東戦争
1956年 – 第二次中東戦争
1967年 – 第三次中東戦争
1973年 – 第四次中東戦争
12.1948年~(継続)- パレスチナ紛争(中東)
13.1948年~(継続)- ミャンマー紛争(アジア)
14.1949年~(継続)- 東トルキスタン紛争(アジア)
15.1950年1951年 – チベット紛争(アジア)
16.1950年~(継続)- 朝鮮戦争(アジア)
17.1954年1962年 – アルジェリア戦争(アフリカ)
18.1955年1972年 – 第一次スーダン内戦(アフリカ)
19.1956年 – ハンガリー動乱(欧州)
20.1959年 – チベット動乱(アジア)
21.1959年~1962年 – 中印国境紛争(アジア)
22.1959年~1975年 – ラオス内戦(アジア)
23.1960年1965年 – コンゴ動乱(アフリカ)
24.1960年1996年 – グアテマラ内戦(中南米)
25.1960年~1975年 – ベトナム戦争(アジア)
26.1961年 – ピッグス湾事件(中南米)
27.1961年 – ゴア併合(アジア)
28.1961年~1962年 – 西イリアン紛争英語版
29.1962年 -(キューバ危機
30.1962年1969年 – 北イエメン内戦(中東)
31.1962年~1963年 – ベネズエラの反乱(中南米)
32.1963年1968年 – アルジェリア・モロッコ国境紛争(アフリカ)33.1963年~1964年 – キプロス内戦(欧州)
34.1963年~1966年 – インドネシア・マレーシア紛争(アジア)
35.1964年~- コロンビア紛争(中南米)
36.1965年 – ドミニカ内戦(中南米)
37.1965年~1979年 – ローデシア紛争(アフリカ)
38.1965年~1984年 – チャド内戦(アフリカ)
39.1967年1970年 – ビアフラ戦争(アフリカ)
40.1968年 – プラハの春(欧州)
41.1969年 – 中ソ国境紛争(アジア)
42.1969年 – サッカー戦争(中南米)
43.1969年1998年 – 北アイルランド紛争(欧州)
44.1969年~- フィリピン紛争(アジア)
45.1970年 – ヨルダン内戦(中東)
46.1971年1992年 – カンボジア内戦(アジア)
47.1971年~(継続中) – カシミール紛争(アジア)
48.1973年 – 第四次中東戦争(中東)
49.1974年 – キプロス紛争(欧州)
50.1975年1989年 – ナミビア独立戦争(アフリカ)
51.1975年~1990年 – レバノン内戦(中東)
52.1975年 – インドネシアによる東ティモール侵攻(アジア)
53.1975年~2002年 – アンゴラ内戦(アフリカ)
54.1976年~(継続中) – 西サハラ紛争(アフリカ)
55.1977年1979年 – ウガンダ・タンザニア戦争(アフリカ)
56.1978年1988年 – オガデン戦争(アフリカ)
57.1979年 – 中越戦争(アジア)
58.1979年~1989年 – ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻(欧州)
59.1979年~1990年 – ニカラグア内戦(中南米)
60.1980年1992年 – エルサルバドル内戦(中南米)
61.1980年1988年 – イラン・イラク戦争(中東)
62.1980年~(継続中) – ペルー紛争(中南米)
63.1982年 – フォークランド紛争(欧州)
64.1983年2004年 – 第二次スーダン内戦(アフリカ)
65.1983年 – グレナダ侵攻(中南米)
66.1983年~2009年 – スリランカ内戦(アジア)
67.1979年―1990年 – 中越国境紛争(アジア)
68.1986年~1987年 – トヨタ戦争(アフリカ)
69.1988年1994年 – ナゴルノ・カラバフ戦争(欧州)
70.1989年2001年 – アフガニスタン内戦(中東)
71.1989年1992年 – 第一次南オセチア紛争(欧州)
72.1989年 – パナマ侵攻(中南米)
73.1989年1990年 – エチオピア内戦(アフリカ)
74.1989年2003年 – リベリア内戦(アフリカ)
75.1989年1996年 – 第一次リベリア内戦(アフリカ)
761999年2003年 – 第二次リベリア内戦(アフリカ)
77.1990年1994年 – ルワンダ紛争(アフリカ)
78.1990年1991年 – 湾岸戦争(中東)
79.1991年2001年 – シエラレオネ紛争(アフリカ)
80.1991年2000年 – ユーゴスラビア紛争(欧州)
81.1991年 – 十日間戦争スロベニア独立戦争)(欧州)
82.1991年1995年 – クロアチア戦争(欧州)
83.1992年1995年 – ボスニア紛争(欧州)
84.1999年2000年 – コソボ紛争(欧州)
85.2001年 – マケドニア紛争(欧州)
86.1991年2001年 – ジブチ内戦(アフリカ)
87.1991年2002年 – アルジェリア内戦(アフリカ)
88.1991年~(継続中) – ソマリア内戦(アフリカ)
89.1991年~(継続中) – カザマンス紛争(アフリカ)
90.1992年 – オセチア・イングーシ紛争(欧州)
91.1992年 – トランスニストリア戦争(欧州)
92.1992年1994年 – アブハジア紛争(欧州)
93.1994年 – イエメン内戦(中東)
94.1994年1996年 – 第一次チェチェン紛争(欧州)
95.1995年1998年 – ハニーシュ群島紛争(中東)
96.1996年1998年 – 第一次コンゴ戦争(アフリカ)
97.1998年2000年 – エチオピア・エリトリア国境紛争(アフリカ)
98.1998年2002年 – 第二次コンゴ戦争(アフリカ)
99.1998年2001年 – ポソ宗教戦争(アジア)
100.1999年2009年 – 第二次チェチェン紛争(欧州)
101.1999年 – 東ティモール紛争(アジア)
102.1999年 – カルギル紛争(アジア)
103.2000年 – 六日間戦争(2000年)
104.2000年~ インドネシア紛争(アジア)
105.2001年 – 2001年バングラデシュ・インド国境紛争(アジア)
106.2001年2021年 – アメリカのアフガニスタン侵攻(中東)
107.2001年~(継続中) – パキスタン紛争(アジア)
108.2003年2011年 – イラク戦争(中東)
109.2003年~(継続中) – ダルフール紛争(アフリカ)
110.2004年~(継続中) – サリン紛争(アフリカ)
111.2004年~(継続中) – タイ紛争(アジア)
112.2004年~(継続中) – ワジリスタン紛争(アジア)
113.2006年 – 東ティモール内乱(東南アジア)
114.2006年 – イスラエルガザ侵攻(中東)
115.2006年 – エチオピアソマリア侵攻(アフリカ)
116.2006年~2009年 – スリランカ内戦(アジア)
117.2008年 – 第二次南オセチア紛争(欧州)
118.2008年2009年 – イスラエルのガザ紛争(中東)
119.2011年 – シナイ紛争(アフリカ)
120.2011年 – リビア内戦(アフリカ)
121.2011年~(継続中)- シリア内戦(中東)
122..2012年~(継続中) – マリ北部紛争(アフリカ)
123.2012年~(継続中)- 中央アフリカ共和国内戦(アフリカ)
124.2013年 – スールー王国軍によるラハダトゥ侵攻(アジア)
125.2014年 – イスラエルのガザ侵攻(中東)
126.2014年〜(継続中) – ウクライナ紛争(中東)
127.2014年2020年 – 2014年リビア内戦(アフリカ)
128.2015年〜(継続中) – イエメン内戦(中東)
129.2016年 – 2016年ナゴルノ・カラバフ紛争(欧州)
130.2017年 – マラウィの戦い(アジア)
131.2020年〜(継続中)2020-2021ミャンマー反乱(アジア)
132.2020年 – 2020年ナゴルノ・カラバフ紛争(アジア)
133.2021年〜(継続中) – パンジシール紛争(アフガニスタン)
134.2022年〜(継続中) – 2022年ロシアのウクライナ侵攻(欧州)
135.2023年 – 2023年ナゴルノ・カラバフ衝突(欧州)
136.2023年~(継続中) – 2023年パレスチナ・イスラエル戦争(中東)

以上である。

沖縄県知事・玉城デニー氏は沖縄戦・慰霊の日に「平和平和宣言」を行った。

その中で
『あの忌まわしい悲惨な戦争が、かつて、この美しい島で繰り広げられました

鉄の暴風といわれるおびただしい数の砲弾による空襲や艦砲射撃により、私たちの島は、戦火に焼き尽くされ、多くの尊い命が失われました。

私たちは、あの悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さ、平和の大切さという教訓を学びました。

あの戦争から79年の月日が経った今日、私たちの祖先は、今の沖縄を、そして世界を、どのように見つめているのでしょうか。(※1)

広大な米軍基地の存在、米軍人等による事件・事故、米軍基地から派生する環境問題など過重な基地負担が、今なお、この沖縄では続いています。(※2)

加えて、いわゆる、安保3文書により、自衛隊の急激な配備拡張が進められており、悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、私たち沖縄県民は、強い不安を抱いています。

今の沖縄の現状は、無念の思いを残して犠牲になられた御霊を慰めることになっているのでしょうか。(※3)

・・・沖縄県民が願う、平和の島の実現のため、在沖米軍基地の整理・縮小、普天間飛行場の一日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念など、基地問題の早期解決を図るべきです。(※4)

世界に目を向けると、今なお、争いは絶えることなく、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ情勢など、戦争という過ちを繰り返し続けています。

東アジアでは、米中対立や中国の軍事力の強化、台湾や朝鮮半島を巡る問題など、自国の軍事増強により、抑止力の強化がかえって地域の緊張を高めている(※5)
一方、経済面での緊密な結びつきが併存するなど、安全保障環境が複雑化しています。

世界の平和と安定に向けて、各国・各地域に求められているのは、それぞれの価値観の違いを認め合い、多様性を受け入れる包摂性と寛容性に基づく平和的外交・対話などのプロセスを通した問題解決です。(※6)

・・・・

戦争に繫がる一切の行為を否定し、人間の尊厳を重く見る「人間の安全保障」を含めた、より高次の平和を願い続け、この島が世界の恒久平和に貢献する国際平和創造拠点となるよう、全身全霊で取り組んでいくことをここに宣言します。

以上が玉城知事の平和宣言である。

その平和宣言だが、
(宣言※1の部分)
沖縄の祖先は、苦難に耐え戦後79年よくぞ戦争を回避し、平和な沖縄を守ってくれたと喜んでおられると推測する。現在進行中及び休戦中も含め136件もの戦争が起きている。そのことを憂いこそすれ、平和国家の歩みを進めてきた79年、戦争をしなかったのは連加盟193か国のうち8か国。その内の1国が日本である。祖先はほめてくれると思うが、何が足らないというのであろう。

(※2)米軍基地や事件に事故や環境問題をいうが、米軍が駐留していなけ日本を想像したことがあるだろうか。たとえば戦後、アメリカの占領が終了と同時に韓国初代大統領・李承晩は、日本と韓国の海の境界線「マッカーサーライン」の代わりに勝手に引いたのが『李承晩ライン』である。そのラインは竹島を韓国側に取り込んだものだ。

アメリカは、李承晩ラインは無効との立場だが2国間問題であると積極的に関与しなかったのが今なお紛争の種となっている。アメリカの駐留は極東の安定と韓国を自由陣営に取り込むことも大きな目的である。その思惑があって暗に日韓に歯止めをかけなければ、竹島をめぐり戦争へ発展したかもしれない。

あるいは、近年の中国の軍事増強と台湾問題は尖閣諸島も例外ではない。台湾有事は日本有事であると安倍元首相は発言したが、もしアメリカ駐留がなければ、尖閣への上陸は起きていたと推測する。1年を通してほぼ毎日尖閣諸島接続水域に現れ、領海侵犯も繰り返す。2年前には沖縄EEZ内にミサイルを撃ち込んだ。その時々の日本の反応を見ているのだろうが、米軍基地がなければ尖閣上陸はありえたであろう。その時、軍事作戦を回避し、指をくわえて『武力はダメ』と玉城知事は一切手を出さないのであろうか。領海侵犯にも一切文句を言わない親中の代名詞となった今、まさか歓迎するようなことはないと思うが。

(※3)『安保3文書により、自衛隊の急激な配備拡張』が戦争につながると、沖縄県民の不安を代弁する。
急激な配備拡張というが、戦後79年日本から軍備を自主的に拡張してきた経緯はない。すべて隣国の脅威に対応してのものだ。玉城知事は日本の軍備には極端かつ敏感に恐怖を煽り立てるが、毎日尖閣周辺に中国の海警局の船が接続水域に現れる不安への対応策も中国への抗議も寡聞にして聞かない。県議会での中国対応の質問にさえ一切答えない。

漁民の不安は当然だが、今では台湾統一を、軍事力を使ってでも統一することを隠さない軍事大国中国が、目と鼻の先にある台湾にたびたび軍事演習を繰り返す中国に危機感を覚えないのだろうか。玉城知事は「演習は中国の安全を確保する観点で行われている。中国内の判断と思う」(夕刊フジ)と答えたという。まるで中国の代理人のような発言には驚くばかりだが、危機意識はまったくない。日本政府は信じないが、付き合いの長い中国には『対話などのプロセスを通した問題解決』に沖縄は徹するということか、そういえば2023.7河野洋平氏と中国を訪問した際、北京の人民大会堂で李強首相と会談した際に3人が並んで撮った写真の嬉しそうな顔を忘れることはできない。

(※4)『平和の島の実現のため、在沖米軍基地の整理・縮小、普天間飛行場の一日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念』というが、辺野古移転が危険除去の方法ではないのか。『沖米軍基地の整理』を本気で考えているのであれば、米軍撤収の後の安全保障を沖縄県民が納得する案を提案した上で整理問題を提起しなくては『夢物語』を語るドン・キ・デニーである。

(※5)『自国の軍事増強により、抑止力の強化がかえって地域の緊張を高めている』というが、まさに玉城知事が好きな中国のことを言っているのかと間違ったが、急激な軍拡は中国である。デニー氏が本気で日本のことを批判しているとすればあまりにも世界常識にはずれ、政治家の発言としては滑稽である。

(※6)『それぞれの価値観の違いを認め合い、多様性を受け入れる包摂性と寛容性に基づく平和的外交・対話などのプロセスを通した問題解決です。』
日本の多様性への対応はリニア新幹線並み、フルスピードである。

夫婦別姓裁判で2021.6.23最高裁大法廷は,事実婚カップルが,同じ名字でないと婚姻届を受理しないのは憲法違反と訴えた訴訟で、合憲とした。
2023.10.25にはトランスジェンダーの人が戸籍上の性別を変える際に最高裁は25日、生殖機能をなくす手術を求める規定は「違憲」と判断した。
今までの政治世界では考えられなかった共産党との共闘が立憲共産党 ❞ と揶揄されるほど立憲民主党と共産党は親密になった。都知事選、蓮舫氏の選挙カーに共産党が応援演説をする時代になったのだ。

  • 都知事選のポスター掲示板。記載内容を直接、制限する規定はないため、同一の選挙ポスターが複数貼られたり、全裸に近い女性の画像などを載せたポスターが貼られたりと多様性満載。

まさに今日の日本は玉城氏お好みの多様性満載。是非中国とは多様性を受け入れる包摂性と寛容性に基づく平和的外交・対話などのプロセスを通して台湾進攻を諦め、日本のALPS処理水の海洋放出に伴い、2023年8月24日以降、産地が日本である水産物の輸入を全面的に停止しているただの嫌がらせを即刻中止するよう中国との対話を求めたい。

多様性を求める玉城知事へのもう一つのお願いがある。
「慰霊の日」である6月23日。来賓の岸田文雄首相が登壇すると、会場周辺に集まった基地反対派から「帰れ」「沖縄の声を聞け」「辺野古の海を守れ」などと罵声が飛ぶ。毎年繰り返される『帰れ』の罵声の合唱も多様性と自由な発言の容認なのか。

『厳粛な慰霊の場を乱す振る舞いは、沖縄の恥でしかない』とネットニュースにあったが、それを容認しているのは間違いなく沖縄県知事・玉城氏である。沖縄県民か、全国から呼び寄せられた基地反対派かわかりませんが、下品極まりない行為はおやめになるべきである。

沖縄と基地、本土人に何がわかる?と言われそうですが、基地に従事する米国人はアメリカ本土はもちろん、日本をも守る任務も担っている。遠い地から極東の小さな島に命を懸けた任務である。

ただただ米軍出ていけの合唱。果たして沖縄人と沖縄に住む米国人の心情を察すると切なくなる。平和という同じ目的に生きる《沖縄と米軍駐留》。互いの立場を理解し敬意を払う。その最も崇高な営みに何故、理解が深まらないのか。

日本中で性犯罪や事件は起きている。アメリカ兵による性犯罪の件は決して許されることではない。しかし、ことさら大きく問題化せざるを得ない沖縄事情は悲しいの一言につきる。

ただ、今は直近の脅威である台湾有事対応である。同盟国アメリカと韓国との協調の中で、互いの信頼関係と意思疎通に齟齬があってはならない。沖縄県知事の立振る舞いは極めて重要であることを肝に銘じたい。

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Posted by 秀木石