暑くて熱い2024.8月の夏

世界,日本,,雑記

Vol.5-8.25-1156      暑くて熱い2024.8月の夏

2024-08-25

今年の夏は特別に暑く熱い夏であった。
猛暑日を凌駕したフランスオリンピックでの日本の活躍は凄かった。金20を含むメダル45の快挙だ。

まだ、この暑い夏が終わったわけではない。まだ猛暑日が続いており過去形にはできない。とはいえ8月も最終章に入り暑さが去らぬ間に次から次へと襲来する台風。去ったと思えばもう次の台風が発生している。まさに異常気象である。

世の中は、例の『南海トラフ』の警告ではないが、いつの間にか警告大国になりつつある。安全がすべてに優先するがごとく早くから計画運休を匂わせる。命を守る安全対策には誰も文句をつけられない。しかし過敏とも思える安全神話の逆バージョンにどこか変な風を感じる。

猛暑同様、熱くなりつつあるのが政治の世界だ。

自民党の総裁選、立憲民主党の党首選。窮地にある自民党の総裁選は相当熱を帯びているが、追いかけ追い落とす勢いを維持したい立憲がどうも冴えない。皮肉なものである。

自民は ❝ 変わる ❞ とのキャッチフレーズを全面に出し、小林鷹之氏や小泉進次郎氏などにフォーカスされる中、候補者はここぞとばかり乱立気味である。一方、立憲は自民バージョンではどうしようもない。人数・人材共に不足なのに同じ土俵にあがるには無理がある。 ❝ 昔?頑張っていた人 ❞ がぞろぞろ出てくるようでは話にならない。

まったく新しい党首選を考えたらどうなんだ。刷新どころか古参復活の様相を呈している。立憲が自らが引き起こした ❝ 立憲・共産党 ❞ という党質を異にする共闘も一つの要因だが、数を増やすことに何の躊躇もない節操のなさに辟易、国民は国家を任せることへの不安を感じているのだ

さらにその深層には、経済という日々の生活への不安以上に、日本人に流れる ❝ 血 ❞ である。オリンピックでは嬉々として国旗をまとい歓喜する日本の血である。日本から国旗、国歌に皇室や靖国神社の存在は日本の心に溶け込む血である。それを忌避する党の存在は、経済の隆盛以前の問題で、精神不安定剤を飲むような感覚であり、無意識の情緒不安があるのではないか。

ところで、やはり日本の夏・8月は戦争を抜きには語れない。
日本のメディアは左傾化しているとの見方があるが、その傾向をNHKからみてみたい。

8月NHKの戦争関連放送を見てみる。

★その1
NHK第1ラジオ放送で毎日放送される「今日は何の日」
8月20日の放送である。

「1945年8月20日(昭和20)、樺太(サハリン)の真岡郵便局で女性交換士9人が殉職しました。ポツダム宣言受諾後も旧ソ連との戦闘が続く中、最後まで職場を守ろうとしたもので、『みなさんさようなら、長くお世話になりました』などという通信を最後に全員が自ら命を絶ちました」

というものだ。ご存じのように日本人は8月15日の天皇陛下の玉音放送で終戦を認識した。8月20日はその5日後の出来事である。
この事件は『樺太1945年夏 氷雪の門』として映画化されたが、ソ連のクレームで上映中止になった曰くつきの映画としても記憶に止めなくてはならない事件である。

産経新聞産経抄も伝えた。
「8月15日を境に『戦後』を迎えたわけではない。北方領土は日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍により、8月末から9月初旬にかけて奪われた。・・・どれほど月日が流れても、書き続け、伝え続けねばならぬ歴史がある」

と書いている。

NHKの『今日は何の日』は端的に紹介する番組ではあるが少し具体化しないとわからないことがある。この「真岡郵便局で女性交換士9人が殉職」事件はNHK8月の戦争月間としては少々詳しく報道すべきだと思う。

例えば「終戦宣言後(ポツダム宣言受諾後)、旧ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、突然日本に攻め入った」という事実を入れないと、ただの戦時中の出来事程度にしかと受け取られかねない。終戦宣言で武装解除した日本のほぼ丸腰になったところに攻め入って、無法に奪ったものであることを強く強調しなければならない。戦争末期のソ連にとっての不都合な真実をオブラートに包む必要は何もない。

★その2・GHQマッカーサーの野望と挫折(NHKドキュメンタリー)
大東亜戦争(太平洋戦争)日本が敗れ、占領政策の総責任者としてダグラス・マッカーサーが厚木飛行場に降り立ち、6年8カ月の占領政策の一部始終を足早に追ったドキュメンタリー番組だ。

1945年8月30日総司令官ダグラス・マッカーサーは厚木飛行場に降り立った。
サングラスにパイプをくわえ、いかにも生意気なヤンキーそのもののイメージを持ってタラップを降りる姿はあまりにも有名である。

見た目から想像するマッカーサーは、実際は朝8時から夜8まで働く実に真面目な男であった。9月2日には戦艦・ミズーリ号の艦上で降伏文書調印式を行っている。

マッカーサーの占領政策は6年8カ月に及ぶが、当初は占領政策において強権的に推し進めるか、それとも柔軟作戦をとるかで迷っていた。回顧録には、その 方針を決定づけたのが着任後1カ月も経たない9月28日、天皇陛下がマッカーサー元帥を訪問したことにある。
『私は不安を覚えた。天皇が戦争犯罪者として起訴されないよう自分の立場を主張するのではないかと思ったのだ。しかしそれは見当違いだった。

天皇はこう言ったのである。

(天皇陛下)
『マッカーサー元帥。私がこちらをお尋ねしたのは、国民が戦争遂行のために行った政治的、軍事的決断や行動のすべての責任を負うものとしてわが身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためです』

マッカーサー元帥は『私は大きな感動にゆさぶられた』と書き残している。

マッカーサーはこれによって天皇を裁くことをせず、占領政策に生かしていくことを考えたという。

そして5つの原則を次々と導入していった。
1、女性参政権
2、労働組合の奨励
3、教育の自由化
4、圧政的諸制度の廃止(これによって共産党・徳田球一は釈放された)
5、経済機構の民主化(財閥解体)・・・などだ。

日本人にとって良き政策もあったが、教育の自由化と言いつつ、日本弱体化の一環として日本の良き伝統も破壊したのは事実である。

マッカーサーの日本占領政策は6年8カ月で終わるのだが、日本の占領政策の成功でマッカーサーは米国本土で絶大な人気を誇るようになりついには米大統領選挙にも立候補するに至る。しかし、長い間米本土を留守にしたことで米国民にその実力が十分に認識されず敗退する。

マッカーサー元帥は超優秀な人材であった。人を見る目もしかり日本人が初めて見る外見からは想像もつかなかったであろうが。マッカーサーが日本に残した実績も大きいが、日本人がマッカーサーに与えた影響力はさらに大きいものがあった。

6年8カ月の占領を終え日本を去るマッカーサーに多くの日本人が沿道で別れを告げたことでも人間性の一端をみる思いがする。

米国に戻ったマッカーサーが公聴会で演説した内容はその影響力の大きさを物語るものだ。「老兵は死なず、消え去るのみ」の言葉を残した退任演説は日本人にとっては感動ものである。
<演説の一部>
『戦後の日本国民は、近代史に記録された中では最も大きな改革を体験してきました。私は占領軍の4個師団を朝鮮戦争に送りましたが、日本に生じる ❝ 力の空白 ❞ については何の不安もありませんでした。

結果はまさに私が確信していた通りでした。
日本ほど穏やかで秩序ある勤勉な国を知りません。また日本ほど将来、人類の進歩に貢献することが期待できる国もないでしょう』

占領国の元締めが語ったことばである。日本人にとってこんな光栄なことはない。声を大にして日本人に伝えたい言葉だ。こんな言葉こそ歴史教科書に載せるべきである。

マッカーサーが語った言葉の中に教科書に載せたい重要な演説がまだある。

東京裁判で死刑になった東條英機は東京裁判で戦争に突入せざるを得なかった理由を、資源のない日本がすべてを止められては日本は生きる道がない。と言いつつも認められず死刑になったが、裁判の2年半後の昭和26年5月3日に、アメリカ上院の軍事外交合同委員会という最も権威のある公式の場でマッカーサーが語った言葉がある。

『日本には蚕(絹産業)以外には固有の産物はほとんどない。綿がない、羊毛がない、石油がない、ゴムがない。その他実に多くの原料が欠如しているのに、それら一切のものはアジアの海域には存在していた。もしこれらの原料の供給を切られると、一千万から一千二百万の失業者が発生することを日本人は恐れていた。したがてって、かれらが戦争に突入したのは、主として自衛のためやむをえなかったことだった』と語ったのだ。(著:渡部昇一「昭和の大戦への道」WAC)

このような重要な事実こそ《NHK・8月の戦争月間》に放送してほしいものだ。

NHKは、この8月に、滋賀県大津市の歴史博物館に ❝ 模擬原爆 ❞ なるレプリカにまつわる戦争秘話を放映した。戦争の悲惨、原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨を伝えることに渾身の力を入れる。それも大切なことだろう、しかし、小さな子供までが何かというと ❝ 平和 ❞ を口にするほど、平和の大切は十分いきわたっている。教育のなせる業だ

8月の戦争にまつわる話を産経新聞の日曜コラムにシンガーソングライター・さだまさし氏のが書いている。
《ああ日本の8月よ》さだまさし(産経新聞コラム抜粋)
◇日本は1年の内、8月だけしか平和について考えない、と皮肉を言われるが、テレビ番組を観ていれば成る程と思う。・・・子供の頃、原爆の爪痕はまだまだ町中に残っていたし、大好きな叔母は叔父が被爆者だったので、原爆を落とした国が今は日本を守っているという理屈が全く理解できなかった。

・・・もう子供じゃないから事情は嫌になるほど判っているので、何も今更急に米軍を追い出せの、自主独立などとは恥ずかしくていえない。(とつづりながら)

政治に求めるものは銭勘定だけではない筈。罪を犯してもお金がほしいなどと若者の心がお金に対して曲がって育つのも、肉親が殺し合う悲惨な社会も、家庭教育も含めた教育の貧しさの証明ではないのか。尤も親になる人をきちんと教育できなければ家庭教育もへったくれもないが。

国の100年後を思うのであれば、最も大切なものは教育であるべきだろう。次が外交・安全保障で、経済は3番目だとおもう。・・・・・」()の部分はジイの追加

至極全うな意見である。

戦後、教育がゆがめられてきたのは事実だ。

安倍元総理は『戦後レジームからの脱却』を何度も口にしたが、マッカーサーの占領政策にプラス面もあったが、未だに洗脳教育が尾を引き日本の頭脳を洗脳し続けている。

8月も残り5日、自民党総裁も9月27日投開票と決まった。

いよいよ新総裁で新たな日本が始まる。
マッカーサー元帥主導で作成された憲法改正も期待したい。

駒沢大学名誉教授・西修氏は『憲法の正論』で、日本国憲法の問題点を指摘されている通り、憲法最大の問題点は日本人自身の手でつくられていないことである。GHQ主導によって1週間で作るには当然ながら無理。いろんな文書からの引用である。例えば、①アメリカ合衆国憲法 ②リンカーの演説 ③マッカーサーノート ④テヘラン宣言 ⑤大西洋憲章・・・等々、この憲法を後生大事に77年間一字一句も変えずに使い続けている。さだまさし氏ではないが ❝ ああ、日本よ ❞ だ。

『日本ほど将来、人類の進歩に貢献することが期待できる国もない』こう語ったマッカーサー元帥。存命中にマッカーサー元帥肝いりの日本国憲法の改正に至らなかった日本の人格・頭脳に、今なら何と評すだろう。バージニアに眠る元帥に聞いてみたいものだ。

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