里山を愛す
Vol.1-6.3-141 里山を愛す
2020.06.03
「好きから愛へ」ジイが勝手に思ったんだけど、好きな物が本当に好きになるとそのものに同化するのではないかと思う。
今森 光彦(いまもり みつひこ)氏のラジオインタビューを聞いていてそんなことを感じた。
何かをとことん好きになる、いつの間にかその好きという感情が熱い熱を持ったままの状態で継続される時、それは気が付かない内に身体が好きな対象の一部になってしまうのでなないかと思う。
今村氏の話を聞いていてそう思わずにはいられない。
ジイは初めて今村氏の名前を知ったが、自然が好きで昆虫が好きな方は皆さん知っておられるのではないか。
話を聞けば、日本国内だけではなく世界にも知られた名前である。「オーレリアン」と聞けば知っておられる方はさらに多いかもしれない。
<紹介されている人物像>だ。
今森光彦は、1954年滋賀県生まれ。幼い頃から昆虫少年で、大学卒業後に独学で写真を学び、1980年よりフリーランスとなる。以後琵琶湖をのぞむ田園風景のアトリエを拠点に、のどかな農業を中心にした環境に生きる小さな生命たちと、そこに生きる人びとのかかわりを撮り続けている。「里山」という新しい視点の空間概念で自然環境をさぐる試みは、国内だけでなく海外でも高く評価されている。
NHKスペシャルで「里山」をテーマにした番組を多数放映、現在もNHKBSプレミアムにて「オーレリアンの庭 今森光彦の四季を楽しむ里山暮らし」を不定期放映中。
という方である。
ところで「里山」とは集落の近くにあり人の手の入った森や林のことを指す。
ジイの育った村もその意味では里山育ちだ。エッヘン!というところだ。
まあ威張ることもないが、要は田舎育ちと言いうことだ。
このラジオ番組はこの里山を愛する今森 光彦氏のアトリエから「四季のたより」を春夏秋冬に分けて聞こうとする番組だ。
話は当然春から始まる。
3月春の芽吹きに紹介されたのが春告花(オーレン)だった。
つづいて、スミレ、ふきのとう、これくらいはジイもわかる。
オオイヌノフグリあたりから全くわからなくなった。
次は昆虫にはいる。
キタテハチョウだ冬は成虫で落ち葉の下で越冬するという。したがって春出てきた時は羽が少々禿げたりして若干みすぼらしいと我が子を語るように言う。ただ、笑いながら淡々と説明する中に、自然に生きる楽しさがあふれでる。
逆に、1円玉程度の大きさの「ベニシジミ」は幼虫で越冬するため綺麗な羽をみせるという自然の摂理がおもしろい。
4月になると、田んぼに水が入る。
この水が入ることで湿度が一気に増す。環境は一転して変わる。
タンポポが咲き、カエルの合唱が聞ける季節に移っていく様が、花や生き物の生態を交えながらの話は実に自然で、まるでそこにいるような臨場感を覚える。
子供の頃の情景が思い出されるからかもしれない。
田んぼからはシュレーゲルアオガエル、モリアオガエルの声が聞こえる。
雑木林には「山桜」「イカリ草」「かたくり」が。
蝶も「モンシロチョウ」「ベニシジミチョウ」「モンキチョウ」とにぎやかになってくる。
5月になる。
いよいよ雑木林がにぎやかになる。
葉が広がる。日向が徐々に影に変わる光のグラーデーションが見られるという。
考えてみれば当たり前のことだが、これを光のグラデーションと捉えられる感性が自然を見続ける人の目だ。
そのグラデーションを愛する蝶がいる。
「キマダラヒカゲ」「クロヒカゲ」「ヒカゲチョウ」
おおきな「クロアゲハ」「カラスアゲハ」「モンキアゲハ」、野生のツツジが咲き乱れ、蝶がその蜜を求め乱舞するという。
空に目を移せば、「イカル」「ひばり」「ホオジロ」
話はまるで自分の子供が自然界で遊ぶ様子をただ見たそのままに話しているようにインタビューはつづいた。
特別な強調や大げさな表現はない。
ただ、好きな環境ですきな昆虫、花、植物が里山という環境で育っている様を話しているにすぎないが、穏やかで楽しげな語り口はまるで自然が語りけているようも聞こえる。
現実に目を移せば、農家と環境は決して満足いくものではない。
生きるための農業は当然のごとく、少ない労力で多くの収穫を目指さなくては成り立たない。
そのことが痛いほどわかるが故に、自ら琵琶湖のほとりに広大な里山を所有した今村氏、自分の土地で思う存分昆虫や、草木と農家の共存の大実験をしたいという思いが強い。
今村氏は農家にはなったが農家の仕事はごく一部、写真家という収入がこの実験を可能にしている。
今村氏の里山は「オーレリアンの丘」「オーレリアンの庭」と名付けられ、昔どこにでもあった里山の復活と大切さを自らの土地での実験段階である。
そう言えば今年4月に亡くなったイギリス出身のC.Wニコル氏も里山をこよなく愛した一人だった。
長野県黒姫山の里山の一部を購入し、「アファンの森」と名付け、里山の再生に力を入れた。
自然を愛する日本人の一人として忘れてはならない人物だ。
<ある里山研究所の論説だ>
※「限られた資源を有効に使う。里山では資源が循環しています。
落ち葉はたい肥にして畑や田んぼへ。お米を収穫した後の稲わらは、草履や縄、畑のマルチングへ。これも古くなればたい肥になります。
使えなくなれば捨てるしかないプラスティック製の生活用品も、里山では竹やわらなど土に還る自然素材で作られていました。里山には完全リサイクルのしくみがあり、ゴミになるものは何もありません。
使い尽くされている石油、伐り倒される熱帯雨林やタイガの森。このままではいずれ資源は底をついてしまうでしょう。
しかし、里山では自然の再生力を超えない範囲で伐採・再生を繰り返すしくみがあります。適度に人が手を加えることで、森には光が入り、生きものに様々なすみかを提供する。長年培われた「使いすぎない知恵」で、資源は次世代まで引き継がれます。それは極めて永続的なしくみです。」
日本には、「一般社団法人日本里山協会」「特定非営利法人よこはま里山研究所」という組織があって里山に関心を持ち、守ろうとする団体がある。
ジイが思うに、農業との完全なる両立はかなり難しいと思う。
大規模に農業はできないが、自給自足程度が可能な全国の里山候補地を検証し、可能と思える地域を国が指定し、例えば、世界遺産ではないが、「日本遺産」に指定し、国として守っていく制度を作るべきだと思う。
無農薬農業と、自然を生かす「里山特定地域」として、特に観光、及び小・中学校の生徒などが自然を学べる環境とし、本格的にやる農業地域とは分ける必要があると思う。
そうやって「里山遺産」を国として守っていってほしい。
そう言えば「オーレリアン」から夏のたよりは、8月31日放送だ、楽しみにしたい。