Mr.デイビッド・ジョーンズ

日本,雑記

Vol.1-7.20-188   Mr.デイビッド・ジョーンズ
2020.07.20

「私のふるさとは日本しかない」。

Mr.デイビッド・ジョーンズ氏はそう断言した。
昭和62年9月18日の「私が見つけた日本のこころ」シリーズにこんな熱いエッセーを残してくれた。(日経新聞S62.9.18)

『日本に滞在して30年余り。私の家は家族全員が大の日本びいきである。三人の息子のうち末っ子は東京で生まれた。
いまは社会人となり東京で外資系の会社に勤めているが、毎日コメの飯とみそ汁は欠かさない。

実は、私とワイフもそうである。米国にいる長男はこんど建てた新居に和室を設け、畳の生活を楽しんでいるほどだ。二男も毎年、休暇のたびに日本を訪れ、日本の生活様式を忘れまいと心がけている。

私は昭和30年、パンアメリカン航空の極東地区広報担当支配人として来日。以来・広報・宣伝の実務を担当、会社の知名度アップに努めてきたが、49年1月1日付で同社を退職した。

いろいろあるが、会社を辞めた一番大きな理由は日本を離れるのが嫌だったからである。

実は退職の前年に「本社の広報担当副社長にならないか」という打診があった。世間的には栄転である。しかし、断れば会社を辞めなければならない。当時、私は58歳、18年間働いたパンナムを去るのはつらかったが、私は日本に残る道を選んだ。ワイフももちろん賛成だった。

米国で生まれ育った私をかくまで引きつける日本の魅力とはなんだろうか。それは日本が世界のどの国よりも安全であり、秩序正しく、平和であるからだ。
外国に見られるような精神の荒廃がない。海外に出かけるたびに、そうした日本の良さを再認識する。米国などを旅行してきて、成田に帰り着くとホッと一安心するのはおそらく私だけではあるまい。

日本人の勤労意欲が旺盛なこと、相手に対する気配り、礼儀正しさも気持ちがいい。

ビジネスで国内の旅客機に乗っていたとき、こんなことがあった。
乗客の一人がスチュワーデスに「おい」と呼びかけた。乱暴な言葉だが、恐らく乗客は奥さんにでも話しかけるつもりだったのだろう。これに対しそのスチュワーデスは嫌な顔一つせず「はい」と答え、客の注文に応じていた。

これが、米国の航空会社だったらどうだろう。呼んでも返事をせず、下手をしたら言い争いになりかねない。ちょっとした我慢、気配りが人間関係をスムーズにすると思うのだが、米国ではこうはいかない。行き過ぎた個人主義がはびこってしまったせいだろうか。

スポーツでもそうだ。米国ではカネもうけのスポーツばかりがはやっている。しかもマナーが悪い。勝者は徹底的に敗者をたたきのめし、敗者に花をもたせるということはない。

私は例の「ヒョーショージョー」で有名になった。優勝力士に初めてパンナムのトロフィーを渡したのは36年の五月場所。前頭十三枚目で優勝した佐田の山だった。以来26年の間今日まで、千秋楽には駆けつけて「ヒョーショージョー」を続けている。その回数は130回以上になったろうか。

大相撲から学んだものは多い。その一つが敗者をいたわる心である。肉体と肉体がぶつかる相撲の勝負は激しい。しかし、全力を出し切って戦ったあと勝者が敗者に手を差しのべる光景は美しい。
私は大相撲にスポーツマンシップの神髄をみる。大相撲こそ騎士道精神にあふれたスポーツと言えるのではないか。

私が来日した当時を振り返ると、現在の日本の繁栄は信じられないくらいだ。しかし、日本人はその勤勉さと気配り、協調精神で一歩一歩坂道を上ってきた。それをワーカホリックと言うなら言わせておけばいい。国民全体がそう言われるのは自慢していいことだ。30年間日本に住んでこうした意欲のある友人も大勢できた。私のふるさとはにほんしかない。』

と結ばれている。

記者追記:
『昭和38年の5月場所から大相撲優勝力士にトロフィーを贈呈。力士とは四半世紀の付合いで友人が多いが、とりわけ大鵬関とは親交を結んでいる。大鵬関の32回の優勝のうち、31回トロフィーを渡した。
クラシックの鑑賞が趣味で自らもピアノをたしなむ。バイオリンの巨匠アイザック・スターンとも仲がいい。時折り、三波春夫、美空ひばりの演歌も口ずさむ』

国は違っても人柄というのは顔に出るものだ。
「優しくて、勤勉、温和」を絵に書いたような人柄は相撲ファンだけでなく、多くの日本人に愛された。
晩年の病気がなければきっと日本の土に眠っていつまでも日本を見守ってくれたことだろう。

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Posted by 秀木石