ああ、、チック・コリア

日本 雑記

Vol.2-2.14 397   ああ、、チック・コリア
2021.2.14

チック・コリアが亡くなった。79才だった。

ジイがジャズに興味を抱くようになった1980年頃すでにトップミュージシャンであった。チック・コリア、キースジャレット、ハービー・ハンコックは若手三羽烏のような存在だったように思う。

この3人は日本公演も多かったので、日本に多くのファンを持っている。何しろ、多彩である。ジャズにどっぷりという感じではなかった。

チック・コリアを検索すれば、なんと「ジャズ、フュージョン、アヴァンギャルド・ジャズ、ラテンジャズ、クラシック音楽、プログレッシブ・ロック」とその演奏の広さに驚く。

JAZZの発展が、スイングジャズに始まり、ビバップを経てモダンジャズへと変遷した。

この間にJAZZから派生し、ロックやラテン音楽、電子音楽、時にはクラシック音楽などを融合させた「フュージョン」という音楽ジャンルが成立した。その成立に大きな役割をはたしたのが、チック・コリア、キース・ジャレット、ハービー・ハンコックの3人である。

JAZZ界にはよく、ピアノであれば、バド・パウエル派とかビル・エバンス派とか、演奏スタイルからそう表現する時があるが、チック・コリアは独学でピアノを学んでいるからだろうか、フリージャズ的要素が強く、1960年代には独自のスタイルを確立したと言われる

多彩な才能からかカテゴリーに囚われないでジャズを追求してきたような所がある。

ジイが最初に買ったチック・コリアのLPが「ナウ・ヒ―・シングス・ナウ・ヒー・ソブス」だった。まだ28歳、ビッグネームになっていない時のアルバムである。全13曲すべてがオリジナルである。

普通JAZZは既存の曲を自分のアドリブで聴かせて、聞き手を酔わせるところに魅力がある。JAZZのスタンダードナンバー「枯葉」も幾多の演奏者が聴かせてくれるが、どれ一つとして同じ演奏がないのはJAZZなる所以である。

チックのこのアルバムはすべてオリジナル曲である。有り余る才能でごく自然にそうなったという感じである。彼の場合ピアノをたたけば曲ができてしまうというか、溢れ出るアイデアをそのままに譜面にすれば曲になっているという感じのような気がする。

このアルバムは大ヒットし一躍チック・コリアをビッグネームにした。的確なピアノタッチ、斬新でエキゾチックなメロディーラインはジャズピアノのイメージを一新させるほどの衝撃を与えた。

JAZZ界で注目される存在になった。

ジャズにこだわらないこともあって、あらゆるミュージシャンとの融合にもチャレンジした。というより才能がそうさせたのであろう。日本で、キース・ジャレットとクラシックのデュオもある。

こんな記録がある。
「1985年2月1日のことです。五反田のゆうぽうと簡易保険ホールで、田中良和指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団をバックに、キースがK.488を、チックがK.466を、そして二人でK.365を演奏しました。この二人のこうした共演は世界初です。」当時のビッグ2の共演、奇跡のような出来事だ。

親日のチック・コリアは度々日本にきて共演している

2007.9.24上原ひろみとのアルバムはブルーノート東京でライブ録音。
2008年には上原ひろみとのピアノ・デュオで日本武道館公演を行っている。
2016年5月にはNHKホールで日本のジャズピアニスト・小曽根真と「2台のピアノのための協奏曲」のデュオ収録。

チック・コリアはマイルスバンドに2年間ほど在籍した。
帝王マイルス・デイビスは才能を見つけると必ず自分のバンドに引き込んだ。チックに電子ピアノを勧めたのもマイルスである。才能をこよなく愛し、新しい才能からインスピレーションを感じとろうとしたのであろう。

あのビル・エバンスも有名なアルバム「カインド・オブ・ブルー」で、チック・コリアもこれも有名な『ビッチェズ・ブリュー』で、キース・ジャレット、ハービー・ハンコックも例外なくマイルスバンドでプレイしている。

愛嬌と親しみのあるあの大きな目と鼻と口、それぞれが特大で人相は極めてニュートラルな優しさに満ちていた。

寂しいねえ~、JAZZに出会った吉祥寺でチック・コリアも知った。あれから40年、時は確実に流れた。

今宵はチック・コリアの『ピアノ・インプロビゼーション』を聴きながら焼酎「赤霧島」の水割りで、、、ではちょっと冴えないが、在りし日を忍ぶとしよう。