ジェンダー・平等

世界,日本,雑記

Vol.2-2.20 403   ジェンダー・平等
2021.2.20

東京オリンピック組織委員会・元会長の森氏の辞任を受け、野田聖子氏が新会長に決まった。

めでたし、めでたし、日本昔話。となるところだが、野田氏の話の中で何度か出てきた “ ジェンダー・平等 ” なる言葉が気になった。

ジイがこのジェンダーなる言葉を聞くようになったのはもう30年近く前だ。

本来<ジェンダー(gender)>とは
生物学的な性別(sex)に対し、社会的・文化的につくられる性別のことを指す。男女の社会的・文化的役割の違いや男女間の関係性を示します。とある。

そもそも、男女には違いがある。男は腕力に優るが、子供を産むことはできない。肉体的特徴も生理も違う。
故に当然だが、男女は区別される。その違いがありながらすべてをフリーにしようと「ジェンダー・フリー」を先導したのが、上野千鶴子氏らの過激なフェミニストたちだ。

世の中は変わった。その流れに添うように世間も変わるのは当然である。しかし、本来男女は肉体的、生理的違いがある、区別は必要であろう。重要なのは『機会の平等』である。

昔あった。女だから、大学までいかなくても、女がダンプカーの運転手?等々差別的な意味合いで言われることがあったが、今はない。職業選択の自由は当然あっていい。

それを、行き過ぎて、男女トイレも一緒、更衣室も一緒などど、区別と差別を同等に扱うバカが出てきて世間を混乱に巻き込む。それが、東大教授の発言と聞けば中にはそれもそうかな、とナイーブな人間はすぐに信奉者となって拡散の中核を担う。

その東大教授・上野千鶴子氏が放った言葉だが、
驚くことなかれ
<男子中学生から自分の男性としての性処理を聞かれ>
『熟女に「やらせて」と頼めばいい」と公の場で回答』したというのだから恐れ入る。
東京大学・名誉教授の発言である。この上野氏も「学術会議のメンバー」と聞き納得である。

意外なところで学術会議がでてきたが、左傾学者そのもので、社会主義を「善」とし、「みんな平等に貧しくなろう」と主張したことがあった。

<2021年1月18日、Twitter上で>
『上野氏が「みんな平等に貧しくなろう」と主張した。その一方で、自身はBMWを乗り、タワーマンションに居住、別荘も所有し裕福な生活を送っているとツイートされ「言うことが詐欺的で悪質」「まずは文化住宅に引っ越して中古車に乗り換えてから言え」「ブルジョワ左翼」「赤い貴族」といった非難が起こった』のだが、東大ともなると頭脳回路が違うのかもしれない。

この上野・東大名誉教授、2019年4月12日に行われた東京大学学部入学式において来賓として登壇し、祝辞を述べるのだから驚く。確か、ニュースになったのでご存知の方も多かろう。

東大=左傾に染まっていることは明らかである。この大学から多くの学生が官僚となっていくのかと思うと絶望感さえある。

毎年3月8日は、国連が定めた「国際女性デー」がある。これは、女性に対する差別撤廃と、社会開発への完全で平等な参加に向けた環境整備も目指してゆくことを目的に定められている。

世界にはまだまだ女性差別の国が数多く存在する。だからこそ「女性に対する差別撤廃」という明確なスローガンを掲げ、特定の日を設けてまで啓発していかなければならないほど悲惨な実態は存在する。

例えば、
特に発展途上国には女性差別があって読み書きができない女性が多い。世界の成人非識字者の3分の2以上は女性とされ、読み書きや計算が出来ないだけでなく、保健衛生や食生活に関する知識がない人も多いのが現状である。

大国インドでは「男児選好」があり、息子は価値のある資産としてみなされ、娘は負債だと考えられている。 その背景には結婚時に新婦側から新郎側の実家に支払われる持参金である「ダウリー」がある。

このためインドでは、妊娠した女性が、約1000万人の女児の胎児がインドで中絶されたと言われている。
このような不幸が世界には数多く存在することからジェンダーが考えられるようになったのである。

日本は極端に自国を悪くいう性向がある。ヒステリックにならずもっと地球儀的思考を持った方が良い。

今回の会長選考では女性・橋本氏に落ち着いた。しかし、女性何割とかよく目標にされるが、男女区別なく能力主義でいいではないか。手を上げない女性に無理やりに職を押し付けることがジェンダー・フリー思想なのか。そうは思わないが。

日本は欧米に比べて控えめな女性が多い。場当たり的な対応でなく、男女の区別なく職業を始め、あらゆる選択肢に差別がないことを義務教育から行っていくことの方が重要である。

ただ、区別と差別を混同し、看護婦が看護士になるなど無味乾燥な言葉の広がりは人の温もりまでが失われていくようで寂しい。

反面、大型トラックの運転手に女性をたまに見る。 “ カッコいいなあ ” と思うことがある。決して日本に差別があるとは思わない。

間違っても一部の過激思想と、テレビやメディアから流される大量の偏向報道に惑わされてはいけない。“ 果たしてそうか? ” の視点を忘れないことだ。

それよりも、「ジェンダー・平等」の、平等思想に、社会主義的・全体主義の匂いを感じてジイなどはちょっと不気味さを感じる。

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