三島由紀夫
Vol.2-28-46 三島由起夫
2020.02.29
「三島由紀夫」久しぶりに紙面でこの名前を目にした。
本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 – 1970年(昭和45年)11月25日)は、日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。
と説明がある。
衝撃だったのはジイがまだ20歳そこそこの頃、ニュースに飛び込んできたのは、自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーで軍服に身を包み鉢巻き姿で演説をしている姿だった。
その直後、割腹自殺をしこの世に別れをつげた。45歳の若さだった。
テレビに映された演説の映像を特別な思想の持ち合わせもないジイは、三島に対し¨悪いヤツ¨という感情は持たなかった。
どこか親近感さえ覚えた記憶がある。
ジイは昔でいうノンポリで同年代の人間からすればすべてにおいて未成熟だった。
年を重ねるごとに少しずつ政治も世間も理解するようになったのは中年もとっくに過ぎた頃だ。
三島由紀夫が語った言葉がある。
*日本国憲法第9条を、「敗戦国日本の戦勝国への詫証文」であり「戦後の偽善はすべてここに発したといつても過言ではない
*自衛隊は、「国を守る」といふことの本義に決して到達せず、もつとも大切なその魂を失ふと問題提起。
*核については、良心の呵責なしに作りうるのは、唯一の被曝国・日本以外にない。
*天皇が日本の歴史の「時間的連続性の象徴、祖先崇拝の象徴」であり、「天皇は、自らの神聖を恢復すべき義務を、国民に対して負ふ」
などの発言にジイはことごとく波長が合う。
昭和45年7月7日付、サンケイ新聞夕刊に掲載された随筆
*果てし得ていない約束
「私はこれかの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではなかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」
この随筆を残した4か月後に割腹自殺をしたのである。
三島は正しく日本国家を愛し、行く末を案じていた。
昔から好きだったが、改めて今、何故か三島の小説だけではなく、文化防衛論や随筆なども読んでみたい衝動に駆られている。