普遍的価値の争奪

世界,日本,雑記

Vol.2-4.2-444     普遍的価値の争奪

2021.4.2

米国を中心に自由主義を標榜する陣営とロシア・中国を中心とする共産陣営の普遍的価値は同じか?と考えた時、はたと考えてしまう。

自由・平等・人権を普遍的価値であると信ずるのが、我が自由民主主義陣営である。しかし、3月18日アンカレジで中国外交担当トップの楊潔氏とブリンケン国務長官との会談でも、楊潔氏が中国には「中国の民主主義」があると言った。では人権や人命重視を伴わない中国の民主主義とは。

彼らの考える普遍性とは、あるいは普遍的価値とは何か。

今、中国で起きている<ウイグル族弾圧>

『収容所では最初に「服を脱げ」と言われ、検査用の採尿を命じらた。・・・手錠と鎖をつけられ、自由に身動きできなくなった。足錠は5kg近くあった。・・・
居住房は寝台がなかった。夜は半数が立ち、2時間交代でゴロ寝した。冬のウルムチは零下5度に冷え込むが、布団もなかった。・・・食事はスープに水、小さいパンだ。食事前には中国共産党を讃える歌を斉唱させられた。』

この収容所では「中国を愛さない人間」に拷問を加え強制的に矯正を図ろうとしている。思想の自由を考える米国陣営はこれを人権弾圧と呼んだ。

しかし、人類があるいは中国が人権も民主主義にも普遍的価値を見い出さないとすれば端からかみ合わない議論となる。中国が言うように、米国には米国の民主主義が、中国には中国の民主主義があるというのであれば当然そうなる。

それでは<普遍性とは>
≪ 数学の様々な分野において、ある特定の状況下にて一意に射を定めるような抽象的性質が、特定の構成を定義、あるいは特徴づけたりする事がしばしばある。このような性質を普遍性と呼ぶ ≫と解説があった。

ジイにはほとんど理解できないが、算数であれば、例えば1+1=2というように、一般的には誰もが同じ価値観で共有できるということでは普遍性がある。と言っているのではないかと思うが、

あるいは、リンゴが落ちたところから万有引力という普遍的な法則を導き出したように物理的な現象などは、その原理が覆るまでは普遍性を維持する。

では普遍的価値という言い方はどうかと考える。

ある学生の考察がある。

◆H氏
普遍的価値観の定義は、とても難しいものであると思う。
僕の思う極論を言ってしまえば、普遍的な価値観なんてものは存在しないと考えます。
しかし敢えて挙げるとすれば、普遍的価値観とは、人としての根本に深く関わるもの、具体的には自由や平等、平和などではないかと思います。

◆S氏(文学部史学科1年)
私は地球という星にとって良いこと、国益という言葉に対抗するならば「地球益」というものに適う行いは、人類がこの星で暮らしていく限りは普遍的価値を持ち得るのではないかと考えています。

◆G氏(文学部文学科文芸思想専修2年)
個人の利益に勝る普遍的価値は、人間が人間である限り存在しない。

◆H氏(法学部法学科2年)
普遍的価値観とは、人が生きていくのに最低限必要なものをいうのではないかと思う。自由や平等、平和そして最低限度の生活を営めることがこれに当てはまるだろう。

などだが、誰もが断定するには至らず、非常に慎重である。わずかに「自由・平等・平和」という概念が語られた。それも自由主義陣営の概念だ。

「愛」を素晴らしいと感じるのは人類の普遍的な感情と断定することもできない。

『普遍性は、支配の道具であると同時に歴史的に不利な立場に置かれてきた側の抵抗と解放のための武器でもある』という考えもある。

普遍性の主張とは支配を行使するための単なるイデオロギーなのか?という問いかけに、米・哲学者J・バトラーは、そうは考えない。

確かに現行の慣習や法的規定のなかで言明されているいかなる内容も完結した普遍性を示すものではないし、また将来においていかなる普遍的なものが現れるかを予期することもできない。といい。

普遍的なものによって『実現されていない』ままのものが、普遍的なものを本質的に構成するのである。、、、と言う。

難しくてよくわからないが、『実現さていない』普遍的価値のひとつに、自由主義陣営が唱える<自由・人権・民主主義>なる価値観がある。

であれば、自由民主主義陣営は今こそこの地球上に人類として<自由・人権・民主主義>を普遍的価値として実現させなければならないということではないか。

さらに言えば、大きく2つに分かれた価値観。人類として【普遍的価値】の争奪戦に入ったと考えてもいいのではないか。

ブログランキング・にほんブログ村へ