十四の春にかへる術なし

雑記

Vol.3-15-61  十四の春にかへる術なし
2020.03.15

ある新聞エッセーに「15の春の選択」というのがあった。
このタイトルを見た時にとっさに浮かんだのが啄木の歌だった。
境遇は違えど啄木が短歌で身を立てようと決意した14歳と重なった。

「己が名をほのかに呼びて 涙せし 十四の春にかへる術なし」

自分の名をそっと呼んでみると、涙がこぼれた。

啄木、19歳で結婚、父親の借金、一家離散、石もて追わるるごとく ふるさとを出た。
結核・苦悩・芸者遊び・貧困・26歳で死去。

あまりにも短い人生ではないか。
啄木の墓は函館の立待岬にあり、今も津軽海峡を見つめている。

何もいいことが無いように見える人生。悲惨と言っていい。
残ったのは今なお愛され続ける歌集「一握の砂」「悲しき玩具」である。
ジイはたまに口ずさむことがあるが、何故かこの歌にひかれる。

ところでこの「15の春の選択」というエッセーの主も、啄木とまでとはいかないまでも決して裕福ではなかった。
幼時に両親が離婚、母子家庭となる。15歳の春、母親を助けたいと、学費も生活費もかからず、更に給料ももらえるという陸上自衛隊少年工科学校へ進むことを秘かに決意していた。
それが「15の春の人生の選択」であった。

だが、担任教師は
「15ん年で、自分の人生を決めんでもよかじゃなかか?普通学校に行って、18んとき、もう一回、自分の進路を考えれば良かとよ・・・」
この助言で彼は普通高校に進学、さらに自活しながら大学まで卒業するに至った。

このエッセー主は、果たしてこの選択が正しかったのか、否かわからないと述懐する。しかし、この季節になると、本気で助言してくれた恩師を思い出すという。

その通りだろう。人生先のことはわからない。今が大事なのだと思う。その時に¨本気で¨真摯に助言してくれる教師に出会えたことが幸運であったのだ。
過去を悔やむことなかれである。決断後は自分の道となった。

ジイも求職中であるが、若いときとは違う。老境に入りつい過去を振り返ることが多くなった。
あの時こうすれば良かった。もう少し勉強すべきだった。もっと頑張るべきだった。もっと子供に寄り添うべきだった、等々取り返せない人生を思うと人生は短いと感じる。

そんなことをくよくよ思う時つい口に出るのが、
おのがなを ほのかに呼びて 涙せし 十四の春にかへるすべなし」だ。
啄木は26歳、三島由紀夫は45歳、ビル・エバンス51歳、ひばり裕次郎は52歳だった。

己は、はるかに長く生きながらえている。
人生に適当な長さというものはあるとは思えないが、
もう死にたいと思う人もいれば。もっと長生きしたいと願う人もある。
しかし世の中そう簡単にはいかない。
意に反し思い半ばで病に倒れる人もあるかと思えば、自ら命を絶たねばならない運命もある。
天にはいかなる基準で召されていくのであろうか。

いざ14の春が望み得たとしても、果たして、後悔を覆すだけの勇気に確信は持てない。
晩年を迎え、後悔先に立たずの格言が不動であるならば、己の人生を肯定し、
さだまさしのように ¨お前のお蔭で いい人生だった¨ と終止符を打つことが最高のような気もする。

しかし、世は無常である。そんな格好良くはいかない。
ならば、凡人にこそ与えよ!満身の力をこめて現在に働いている最中に、天国に行ける片道切符を。と思うのだが。