真剣勝負

Vol.3-16-62  真剣勝負
2020.03.16

数日前、TVBSで「昭和歌謡・船村徹全集」なるものを見た。

古関裕而も古賀正男も、そして船村徹も、作曲家としての世界に名を残すという人は生涯作曲数が5,000曲を超えている。
50年の作曲人生とすれば、年100曲、月にして8曲以上を作曲していることになる。驚異的な数字である。しかし多ければいいと言う問題ではないが、メシを食うためにはヒット曲を出さなくてはならない。
 
ただ、曲を作りたいという熱病にかられた彼らにとって、盲目の愛ではないが、5000曲は必然の結果と言える。
逆に言えば呼吸するがごとく作曲と恋に陥らなければ人を感動させるようなヒット曲は生まれないということだ。

あの、俳聖芭蕉ですら、生涯残した俳句の中で納得いくものは数句だと述懐したという。ここに何か言葉にできない真理がありそうだ。

現在のシンガーソングライター全盛と違い、昭和という時代は、作曲と作詞、編曲はそれぞれが役割分担する分業が常識だった時代である。
その3つが最高のクオリティを持ち得た時にヒット曲が生まれる。

船村徹は故郷の友人高野公男がその人であった。
大学在学時に、作詞家の高野公男と組み早くも作曲活動を開始している。
わがままな船村が、この時期にすでに高野の心情に心酔し信頼しきったところにジイはあるうらやましさを感じる。

昭和30年(1955)年9月に大ヒットした「別れの一本杉」が二人の最初のヒット曲となった。
しかし、高野との濃密な時間は無情にも1年と少しで断ち切られてしまう。

別れの1本杉からちょうど1年後、肺結核を患い26歳の若さでこの世を去っしまたのだ。船村は大学で先輩高野公男との出会いが自分の人生を決定的に決めたと断言する。
高野からは「俺は茨城弁で歌詞を書くから、お前は栃木弁で作曲しろ」とよく言われたという。
二人が故郷の歌をつくろうと出来上がったのが、別れの一本杉だ。

時、正に高度成長時代の時代、故郷の匂いがする別れの一本杉は、集団就職などで都会に出てきた若者たちの心をとらえた。
大学時代からこのヒットを手にするまでの数年、「流し」や「新聞配達」をしながら高野は船村を励まし、共に夢見た数年は例え3年であったとしても生涯にも匹敵するほど濃密な時間を共有していた。

高野が早逝した後、船村は「あいつの分まで生きる」と、親友・高野に対する感謝を終生忘れなかったという。考えるに二人の交友はたかが3年少々だ、その数年が純粋に、正に一点の曇りもなく思いを共有できた幸せな時間であった思う。
うらやましい限りだ。

伴侶以外でこれほどの関係を築けた二人は、この世に生を受けた意義をすでに全うしたのではないかとさえ思える。
船村の心の中には「あいつの分まで生きる」という言葉通り終生高野と共にあった。

そのことを強く印象づけるエピソードがある。

船村は北島三郎という才能を見出した時だ、これは物になると思ったのはプロの直観である。
しかし長年の「流し生活」で染みついた自分のものではない「物まねの血」が流れていることに感づいていた。
この血のすべてを洗い流し、北島のものにしなくてはと思ったのは間違いない。
高野亡きあとやっと出会った作詞家・星野哲郎と北島三郎のデビュー曲に取り組んだ時だ。

曲は出来上がった「なみだ船」だ。
イントロ部分が聞かせどころ、この歌のサビでもある。ここに船村ば¨物まね北島¨をぶっ潰すことに命を懸けた。流しでそれなりの自信をつけているからこそ難しい挑戦だった。

妥協のできない真剣勝負である。
♯な~みだ~の~ォォォぉ~おわりの ひとしずく~♭という出だしである。
レッスンが始まった。
♯な~みだ~の~ォォォぉ~、、、ここでストップがかかる。
再度、、、♯な~みだ~の~ォォォぉ~、、またストップだ、
♯な~みだ~の~ォォォぉ~、、
この出だしから前へ進まないのだ、何度も何度も繰り返すこれでもか、これでもかというまるで拷問を受けるがごとくである。
♯な~みだ~の~ォォォぉ~、、、、もう一回、、、、、1時間が過ぎた、が、まだ終わらない。
まるで拷問を見るようなレッスンに同席していた星野は常軌を逸した場の雰囲気にいたたまれなくなり退出したという。

それは、まるで麻薬患者がヤク切れで、半狂乱にのた打ち回り、中毒症状から抜け出す道程のような凄まじい時間であった。
船村はこの出だしに北島三郎に眠る本来の音に真剣勝負をかけたのだ。
高野との別れに誓った「あいつの分まで生きる」と言い切った以上、高野に顔向けができない。妥協などもっての他だった。
このサビが北島のものになれば、本当の北島三郎が出来上がると確信をもって命をかけたのだろう。
それに応えた北島も立派だったと言えるかもしれない。
かくして¨なみだ船¨は大ヒットにつながるのである。

凡人が滅多に巡り合えない真剣勝負。己との勝負でもある、木刀ではない。真剣とは切れば血が飛び出ることを意味する闘いだ。引くことはできない。
この物まねという血を出し切るという狂気にも近い闘いの末、北島三郎という真っさらの新人歌手が誕生したのである。

人が命をかけて変えよう、あるいは変わろうとする時、真剣に集中するあまり、傍から見ると常軌を逸した行動に見えるのかもしれない。
たった3年足らずの付合いで、生涯の親友と心の中に宿した高野公男、船村と同じ84年の生涯を生きたと言えよう。
今頃、2人は再会し、¨天国賛歌¨でもつくって楽しんでいるのではないかと想像する。

船村と高野がた生きたた苦節という一時期、一見暗いイメージが付きまとう。しかし、人間本来の姿に出会えるのはそんな環境にこそあるのかもしれない。

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雑記

Posted by 秀木石