アスリート慟哭の叫び
Vol.2-7.21-554 アスリート慟哭の叫び
2021.7.21
かつて世界的数学者・岡潔は「人として一番大切なことは、他人の情、とりわけ、その悲しみがわかることです」と語り、みずからも難問にぶつかった時、芭蕉の研究に没頭した。その心を情緒と表現し最も大切にした。
今もほとんどの日本人は人としての情を持ち合わせていると思うが、昔のようにネットが無い時代。「声高な少数派」心無い言葉は、世間から相手にされなかった。
ところが、今は顔も名前も出ない。誰かの偏った情報が、一見多数派のように装うことすらできる。なんという不憫な世の中になったものだ。
情報を発信する新聞テレビなどの報道すら、報道しない自由という自分勝手な解釈が可能とされる世の中で何が本当の姿なのか、それすら正確に読み取ることは困難である。
そんな、ある意味混とんとした情報社会の中で、時の政権は自らの権力維持のみに心を奪われ、一見、正論のように思える声の大きい圧力に動揺し、コロナ禍の下でのオリンピック開催にびくびくする姿は実に醜い。
何も恐れることない。開催は決まったのだ。あとは、安全にことを進めることだが、「100%命が大事に」ということであれば、大会中止にするより他に選択肢はない。しかし、GOと決定した以上、世界とアスリートを無視してやることこそ無責任である。
今の世界を見渡し、日本の状況を勘案すれば「無観客開催」などあり得ない選択肢だ。世界一の富岳が感染対策をすればリスクは1%未満に抑えられると証明してくれたではないか。この科学の力を信じずノイジー・マイノリティに判断を誤る政府に世界を感動に導くなどあり得ない。
たとえ、少々の感染者が出ようと死ぬようなことはない。ほとんどの選手がワクチン接種を済ませているし、観客もいつも以上に感染に気を付けている。しかし、ゼロリスクなどあり得ないを前提で腹をくくればいいのだ。
オリンピック開幕を目前に強化試合をしたサッカーの日本代表の主将・吉田麻也選手の声は慟哭である。
『アスリートは当たり前ですけどファンの前でプレーしたい』
『忘れないでほしいのは、選手たちもサッカーに限らず命をかけて戦っているからこそ、この場にたてている。なんとかもう一度、真剣に(観客を入れる事)検討していただいたいと思う』
この言葉に対し
『(吉田が)伝えてくれたことが、選手たちの意見です』
陸上女子の寺田明日香選手は
『心に刺さりました。ありがとうございます』と投稿した。
これこそが、アスリートたちの本音である。
オリンピック開幕を3日後に控えた夜のテレビでは、過去のオリンピック名場面集を特集していた。歓喜の中にこそ感動があり、メダリストたちは熱い応援の声にこそ励まされたと異口同音に語る。
本来ならアスリートたちのテンションを上げるためのオリンピック放送、無観客と決まった今の段階でこの報道はある意味残酷である。
アスリートたちは何を発奮材料として、自分を高めようとするのだろう。考えただけでも胸が苦しくなる。
吉田麻也選手の言葉の後ろにほとんどの選手の言えない胸の内を代弁していると考えると涙が出そうだ。
個人主義がはびこり、国家としてどうするかと言う視点は日本国民の思考からすでになくなった。戦後の国家忌避の思想ははからずもオリンピックとコロナで露呈した。
多くの有名選手の辞退は無観客のオリンピックへの抗議のようにも見える。世界でも最も少ない感染者に死亡者、なのに何故?という疑問は拭い去れない。ホリエモン氏は、「ノイジー・マイノリティに負けた」と表現した。ほぼそうだと思うが、それにほとんどのまずメディアは後押しするように乗っかった。
驚いたのはメインスポンサーのトヨタ自動車が五輪に関するCMを見送ったことだ。広報担当の長田氏は「いろんなことが理解されない五輪になりつつある」として、企業イメージダウンを避けようとしたようだ。
世界に誇る日本のトップ企業が、率先して日本のオリンピックを盛り上げるためにCMの内容を工夫するポジティブ思考になれないのか不思議である。このトヨタの保身に走る姿は今の日本の姿そのものである。
今回の無観客観戦の決定は、国際的評価を決定的に落とすであろう。決められない政治の筆頭格として、あるいは品格と威厳を亡くした国家の代表として世界に認知されるのではないか。
イギリス・アン王女も日本国内で東京五輪への反発が強く、日本の国民感情を考慮し、東京五輪に出席しない意向を示した。イギリス選手の落胆を思うだけで心が痛む。
巷の意見に、多くのスポーツ競技が観客を入れてやっているが、彼らはコアなファンで俄かファンではない。と、まるで俄かファンは礼儀を知らずと言わんばかりの発言がある。
日本で行われたラグビーワールドカップで盛り上がったのには多くが俄かファンであった。そのファンたちが礼儀知らずで悪評を買ったと言う話は聞かない。彼らはあくまでも熱い応援者で試合のルールに疎いだけである。
コロナ禍で、規制された場内で観客がバカ騒ぎをするとは思えない。同じ日本人としてそれを解さないとすれば、コアと自負するファンの偏見であろう。
多くのアスリートの心を代弁した吉田麻也選手は立派である。
アン王女が辞退するまでに日本人はオリンピックへの忌避感情を持っているのか、ジイは疑問である。
かのGHQの洗脳よろしく、ノイジー・マイノリティの巧妙な手法にテレビを始めとするマスメディア、医師会などによって、多くの日本人が洗脳された結果であるとジイは思う。
しかし、この混乱の原因は真贋をもって判断できなかたった政府と、日本人の情緒喪失による人間の混乱ではないか。
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