心なき東京五輪

オリンピック,世界,日本,雑記

Vol.2-7.22-555     心なき東京五輪
2021.7.22

“ いい加減にしてくれ ”
確かにそんな声が上がってもおかしくない。緊急事態宣言が終わったかと思えば今回は蔓延防止措置。1度や2度ならともかく3度、4度となれば飲食店はたまったもんではない。

もう、いい加減にしてほしいと言うのは当事者でなくてもうんざりである。具体的な終息値が示されない中のでの闘いは確かにつらい。

もう1年半以上も闘い続けているのである。例えば基礎疾患のある人はかなりの確率で重症化リスクが高いなどコロナのリスクと対策はほぼ理解が進んだ。

しかし、基本的には「重症化しなければいい」「死につながることがなければインフルエンザと変わらない」。そういう感覚でなかなかとらえられない。欧米と日本の感覚の違いが最近顕著だ。

7月にはベネチアでG20の財務省・中央銀行総裁会議が行われた。会議当日に新規感染者は1400人にのぼったが、「国際会議なんて大丈夫なのか」の声は全くない。それどころか、ベネチアは観光客で大賑わいだそうだ。

イギリスは1日あたり5万人、フランスも1万人に達し以前ならロックダウンする数字である。しかしロックダウンどころかジョンソン首相は規制を撤廃する勢いである。

もちろん、ワクチン効果で重症者の数が激減していることはあるにしても日本とは天と地ほど対応に違いが出るのはどうしたことか。

20日に北海道鈴木知事は、ピーク時の1/4程度の感染者にもかかわらず最近になって増えたからといって、政府に蔓延防止の発出を申請している。政府もそこまでする必要があるのかと考慮中とあったが、当然である。

鈴木知事は全国知事会でも、観客を入れて開催できるにもかかわらず、無観客を決めた。さらに「安全なスタイルの呼びかけを徹底してほしい」と政府に懇願するとは冷静な首長の態度であろうか。

オリンピックに関し、欧州は日本の「無観客対応」に衝撃を受けている。『感染者はさほど多くないのに、なぜ?』という反応だ。

フランス人記者は「触れ合いのない五輪は悲しいね。まあ開いてくれただけでもよい」となかば呆れ顔。

無観客が決して悪いとは言わない。世界の期待に応えるためにアスリート同じく命をかけたギリギリの姿かどうか、と言ういう事である。

日本人が太古の昔から培ってきた相手を思いやる心に悔いがなければ、逆に堂々と世界のために「無観客」をアピールすればいい。

アスリートが命をかけた闘いを繰り広げるのに、命をかけて会場の準備に応えようとしたのが「無観客観戦」とは何という超消極的な対応であろうか。あきれ返って声も出ない。

おそらく、東京オリンピックでの世界記録は皆無に終わるだろう。

世界にそしてアスリートに申し訳ないと思う。、、、ただ、それだけである。

コロナゼロリスクなどあり得ない。しかし何が何でもゼロを目指せば、自ずと感染者増に目が行く。しかし、過去多くの感染症を経験した人類にとって、死者を出さなければ、インフルエンザと変わらない。

いまだ、感染者数だけを重視し、重症者の減少に目がいかない医療関係者のコロナリポートはどこかいびつである。もし、重症者減少を朗報と報じれば、タガが緩むと考えているならあまりにも了見が狭すぎる。

いずれにしても、どこからも “ 頑張ろう、日本! ” という言葉が聞けないのが残念でならない。

日本人は今何かに取りつかれたように、1都3県の首長、ワイドショーのMCが日々嬉々として発表する最初の言葉は “ 感染者が先週の同じ曜日に比べ〇〇人増加しました ” が定番となった。

明日、オリンピック開幕を迎える。ニュース第一声が “ 感染者が先週の同じ曜日に比べ〇〇人増加しました ”  だとしらた、不謹慎だが笑うほかない。

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