保安処分の是非

日本 雑記

Vol.2-9.21-616   何故タブー?保安処分
2021.9.21

保安処分とは、『「犯罪者もしくはそのような行為を行う危険性がある者」を対象に、刑罰とは別に処分を補充したり、犯罪原因を取り除く治療・改善を内容とした処分を与える事である』

今から50年前の話だそうだ。
「日本犯罪学会」の総会は、この保安処分の導入で怒号が飛び交う中で行われた。実際は保安処分導入に反対する一部の精神科医らの檀上占拠で総会は粉砕され中止となった。
ということが、産経新聞、「真・治安論」の連載の「保安処分」の中で語られている。

いつの世も、一部の過激な反対派の横暴がまかり通ってしまう。現代でもその傾向は十分生きている。例えば憲法審査会、反対派は健全な議論すらさせない。「憲法審査会」という名前だけはある。一向に議論が進まないのは形は違えど、審議をさせない反対派の横暴がここでも生きているのだ。

何か事件が起きると、時に議論されるのが精神錯乱を理由とする精神鑑定である。

わが国の刑法には、精神障害の影響で善悪の判断ができなかったり、行動を制御できなかったりした場合は罪に問わない「心神喪失」に関する規定がある。

しかし、刑罰を見送る代わりに治療を義務付ける規定がない。本来セットとならなければならないはずが、日本には片方しかない。制度の欠陥である。その欠陥が一向に埋められない。

その制度導入に誰が反対をするのか。
その一つが日本精神神経学会で「治療のもとに障害者を社会から排除しようとするもの」として強力に反対している。

もう一つが、日本弁護士連合会、日弁連と言われる弁護士団体だ。
日弁連の伊賀興一弁護士は「精神医療を充実させれば不幸な事件を妨げると確信している」と言い「病院に閉じ込められる不安を感じることがない医療環境こそが重要だ」と話し、制度として「保安処分」の導入に反対する。

であれば、精神神経学会と日弁連が協力してそういう医療体制のあるべき姿を議論し、政府に提言すればいいではないか。それもしないで、反対ばかりで議論を中断させる。反対が目的のように思えてならない。

彼らの執拗な反対で、「保安処分」の議論はタブー視される始末。そのお蔭で被害者は後を絶たない。彼らはいつも加害者の立場に立ち、被害者側に立つ子ことはない。

弁護士や医師の正義とはどこにあるのか問いたい。泣きを見るのはいつも被害者である。「保安処分」は障害者を加害者にさせないためである。「保安処分」制度があれば犯罪を犯さずに済んだ障害者も多くいたのではないかと思う。

海外ではドイツ、オランダ、英国など刑罰を見送る代わりの規定を設けている。それらの国の実態研究や比較検討するなど議論すら阻止する学会や弁護士会は何者か。自分たちの仕事が減るのを恐れているのか?と勘繰ってしまう。

民法改正により、成人年齢が18歳に引き下げられた。しかし都合の良い時は大人扱い、罪を犯した時だけ少年法が適用される。ここでも日弁連は少年法適用年齢引き下げに強く反対、被害者の立場に立つことはない。

日本学術会議、日本精神神経学会、日本弁護士連合会、すべて冠のように「日本」がついている。日本とついた団体、あるいは「平和」を頭に配した団体、頭から信用しない方が無難である。