瑞巌寺
Vol.3-29-73 瑞巌寺
2020.03.29
ある広告が目に留まった。一面広告である。
「芭蕉にも、もう一度お見せしたい」。
何を見せたいのか?
~日本三景・松島にのぞむ国宝、瑞巌寺。「平成の大修理」が完了しました。~
とあった。
確かに多くの言葉はいらない。国宝瑞巌寺の修理が終わったとの報告である。
松尾芭蕉が「奥の細道』のなかで「扶桑第一の好風にして、几洞庭、西湖を恥ず」 と述べた松島の景観。
瑞巌寺は400年以上この美しい松島を見つめている。
芭蕉が松島に来たのは元禄2年(1689年)5月9日。創建から80年余りの真新しい壮麗な瑞巌寺をみている。
その姿に負けじと、社の名誉にかけ10年の歳月かけて完成した修理。
鹿島は「平成の大修理」と記し、「芭蕉にもお見せしたい」との自信と国宝への畏怖と共に、この大修理を請け負えた喜びのようなものが、一面広告の中ににじみ出ていた。
瑞巌寺、創建は1609年。伊達正宗が京都や和歌山から名工を集めて造営し、木材は紀州熊野、信州木曽からはるばる海路で運んだという。
2008年に始まった修理。110本の柱をジャッキアップ、約5万枚もの瓦は1枚1枚取り付け直した。一日一日の修理を重ねること10年。
330年前、奥の細道を歩いた芭蕉がこの寺を訪れた。その芭蕉にも見せたいとの心意気が嬉しいではないか。
そう言えば 文化庁が、奈良県明日香村の国宝、高松塚古墳壁画(7世紀末~8世紀初頭)の修復作業が終了したと発表した。実に12年の歳月を要している。
ジイなどは、まだ終わってなかったのかと改めて感じ入った。その修理前と修理後の映像が並列して映し出されたが、確かに若干綺麗には見えたが、見違えるほど鮮明になったとは言い難かった。
実物を見たわけではないので何とも言えないが、よく考えれば、12年の歳月をかけたというよりも、かけざるを得ないほど大変な作業であったということだろう。
当時の絵に極限まで近づけたい。推測や憶測、現在の頭で考える観念の一切排除し、もちろん当時調達できた材料、使った絵の具等、細微に渡って分析して作業にあたる。あくまでも原画の修復である。思うに0.何ミリの世界であったと想像する。
一つ間違えば絵を壊す、筆の一入れを間違えば2000年の歴史を壊してしまう、まさにタイトロープだ。これ以上は無理との限界だったのだろう。
それを思うと、はるばる7世紀頃、当時描いた絵師の心情までも察した結果の12年。まだ、足りなかったのでないかとさえ思うに至った。
あまりに鮮やかに再現されていたとすれば、それは全く別の絵、現代の絵になってしまうということだろう。
歴史への敬意。歴史遺産とはみなそういうものだ。
歴史の長さもさることながら、先人達が守り通してきた歴史も含め、どれほどの多くの人の心が詰まっているかということでもある。
鹿島建設株式会社はそのことを感じ取り、丁寧にコツコツと思いを込めた10年であった。
見事な完成に心からお祝い申し上げたい。