YS11
Vol.3-30-76 YS11
2020.03.30
2020年3月28日 深夜である。
午前0時、全長26m、高さ約9m、幅約3m弱の巨大な物体が、羽田から茨城県筑西市にある民間施設「ザ・ヒロサワ・シティ」までの120kmを5時間かけて陸送されたのである。
YS11である。知らない人が見たら、深夜に巨大なクジラ出現??これは夢か?まるでSFの世界と勘違いするほどぶったまげたであろう。
どのルートを通ったのか知らないが①カーブのない道路、②車線が2車線以上等々相当綿密な計画がなされたと思われる。例え2車線であってもかなりはみ出していたはずだ。
このアドベンチャー、事前に知らされていれば、輸送ルートには深夜にも拘わらず相当なファンが沿道を埋め尽くしたことだろう。
幸いというか、このコロナウイルスの不幸が幸いし道路もかなり空いていたのかもしれない。
120kmを5時間ということは、平均時速24kmだ。一般道ということは信号機もある。まさか信号無視はできない。それを考えると走行中はかなり早い速度になる。いくら胴体部分を切り離しての輸送とはいえ、2、30トンの重量ではなかろうか、急にブレーキをかけても相当の距離を走ってしまうだろう。そんなことを考えると、映画のスピードどころではない危険なロードだ。良くやったなと思う。
さぞかしトレーラーの運転手は相当のベテランか大型輸送専門のプロフェッショナルであろう。
あっぱれ!!
この戦後初の国産旅客機「YS11型機」は、昭和40年から平成18年まで41年にわたって日本の定期路線を運航した。
この1号機は平成10年の引退後、国立科学博物館が引き取って羽田空港の格納庫で保管していたようだが、管理が難しくなったということだが、よくもまあこの巨大な飛行機を保管する民間施設があったもんだ。本当によかった。
機体は去年9月から4か月かけて解体作業が行われ、胴体と左右の主翼を別々の大型トレーラーで輸送。
今後、元の形に組み直され、ことしの秋の展示・公開を目指しているそうだ。
きっと中にも入れるのだろう。ファンはたまらないのではないか。
国立科学博物館産業技術史資料情報センターの鈴木一義センター長は「無事に終わり感無量です。一般の方に公開するという保管から20年来の夢がようやくかなうという気持ちで、ぜひ多くの方に見てもらいたいです」と話していたそうだが、「無事に終わり感無量」その一言に尽きるだろう。
この解体には、長年、飛行機の整備を行ってきた航空会社のOBおよそ20人で、70歳前後のベテランばかりだという。
今までは、人の命を乗せる整備、緊張の連続であったであろうが、今回は違う。皆さんに見てもらうという楽しさだけの作業だ。
長年携わってきた「愛するYS11」をOBだけで解体、更に組み立てる作業。考えるだけで楽しくてしかたなかったのではないかと想像する。
案の定チームリーダーは「経験豊富な人たちが集まったので、本当に楽しく早く終わりました。」と約4ヶ月の解体作業を振り返った。
YS11は昭和29年(1954)年に国内航空機計画がはじまり、日本航空機製造が製造。
設計にはかつて零式艦上戦闘機等を開発した設計士達が携わったそうだ。
三菱重工業が最終組み立てを行い1962年 8月30日に初飛行。
41年の飛行に幕を下ろした。
本当にご苦労様でした。
敬意を表し、敬礼!!