思い出の青春歌
Vol.3-02.27-775 思い出の青春歌
2022.02.27
西郷輝彦氏が亡くなった。
我が身にとっては青春の火が一つ消えたような感じだ。ジイが初めてわが年代の歌だと感じたのが、初代御三家、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の歌だ。
その中でもジイは都会の匂いのする西郷輝彦が好きで、初めてファンという感情を持ったのを思い出す。
それまでも歌はいつも巷に流れていたが、三橋美智也であり春日八郎で、大人の歌を子供も楽しむ、いわば世間の歌みたいな感じであろうか。
御三家の出現で、初めて自分の時代の音楽を実感した、いうなれば、我が青春歌と言ってもいい。
その一人が亡くなった。寂しさは青春の一片が消えた感じと言えばいいだろうか。
橋幸夫が「潮来笠」デビューし、翌年、舟木一夫の「高校三年生」、西郷輝彦が「君だけを」と3、4年のうちにそれぞれに違った個性の出現で青春歌謡の幕開けだった。
演歌の橋、学園ソングの舟木、ポップ歌謡の西郷とそれぞれ違ったキャラクターで当時の若者の心をつかんだ。
西郷輝彦と言っても、今の若い人たちは、歌手というより役者としての西郷輝彦しか知らないと思う。ジイたちの時代、アイドルとは呼ばなかったが、この当時の歌謡人気を3人が分け合った。その後、三田明など数多くの歌手が出てきた。いわゆる青春ソングなるものが謳歌した時代だった。
テレビも凡そ普及し、テレビでの歌謡番組は昼、夜問わず何かしらあった。
NHKの紅白歌合戦が80%の視聴率を誇った時代だ。「歌謡ベストテン」「玉置宏のロッテ歌のアルバム」「夜のヒットスタジオ」「ミュージックフェア」等々歌番組全盛の時代。
ジイは西郷ファンだったが、歌手としての期間は比較的短かった。すぐに役者との二股で、いつの間にか役者が主になりちょっと残念な思いもした。
過ぎし日を思うと、自分の成長に合わせて歌も歌手もすべてが思い出の中にある。
あの歌を歌ったあの頃の情景が浮かび、当時のままの風景や匂いが一気に蘇ってくる、誰もがどの時代に生きようが青春の思い出は生き生きとして今の自分を元気づけてくれる。
「武田鉄矢の昭和は輝いていた」という番組をよく見るが、敗戦から10年が経ちいよいよ昭和が高度成長期にあり、まさしく「昭和は輝いていた」良い時代だった。
学校でも社会人になっても、青春はもっぱらアウトドア。キャンプファイアー、フォークダンス、潮干狩り、登山、海水浴、スキー、スケート、ハイキング、運動会、盆踊り、、、それは会社員になってからもしばらく続いた。
“ 歌は世につれ 世は歌につれ ” というが、時代が変わったなあ、と実感するようになったのは、井上陽水、吉田たくろう、ユーミンが出てきた頃だ。
喫茶店に入って仕事をさぼっていた時、ユーミンの歌を聞いた時は衝撃だった。あの井上陽水の「氷の世界」を聞いた時は驚きと戸惑いだったが、荒井由実には今までにない新鮮な衝撃を受けた。思わず店主に “ 誰の歌? ” と聞いたことを覚えている。
西郷輝彦の死、、、寂しいと言うより我が時代の終焉を感じる。いよいよ世代交代の時代だなあ~という実感だ。
今宵は、わが青春の日々に思いを馳せ、デビューソング「君だけを」から、星娘、チャペルに続く白い道、真夏のあらし、海はふりむかない、、、を聴いてみよう。
そう言えば西郷氏、インタビューでこんなこんな言葉を残している。
「あの頃に戻れるなら、きちんと歌をやりたい」と・・・・・。
~ 己が名を ほのかに呼びて涙せし 十四の春にかへる術なし ~ 啄木の詩を思い出した。
ご冥福を祈ります・・・合掌
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