母の死

雑記

Vol.2-02-19 母の死
2020.02.02

昨日、田舎で母(義母)の49日法要があった。
94歳という年齢に不足はないが、身内には関係なく悲しさは特別なものである。

さすが、葬式当日の悲しみからは落ち着いた雰囲気ではあったが、別れの言葉さえかけられなかった突然の死に、言いようのない無念が漂っていた。
孫娘は最期に立ち会えなかった悔しさと、別れきれない思いが込み上げ遺影の前で涙をおとした。

3年前に癌を宣告された母は大きなショックで一時相当落ち込んだ時期があった。
歳を考え、手術という選択肢はリスクが大きく皆が反対した。
それは正解であったと今は思える。

お蔭様で癌の進行はなく月が進むうちに元気を取りもどし以前の姿が戻りつつあった。
が、しかし、母の歳を考えれば、癌の宣告は死の予告に他ならない。
娘は月に一度帰省し母を見舞った。

癌宣告は非情な宣告であったが、その宣告がなければ娘が月一度母に会いに行くことはなかった。

今、思えば見えない力の存在を思わないわけにはいかない。

母が娘を、子を思う気高い気持ちが癌という不治の病を使って、神が最後の別れの時間を授けてくれたとしか思えない。
何故なら、癌は診察のたびに悪さを潜め、まるでこの3年姿を消したかのようにおとなしくなった。
そこには、母と子の、そして母に好かれた孫娘が残された時間を愛おしむ姿しか私の記憶にはない。

そして、母は昨年12月、突然この世に別れを告げた。

母の心は満たされたのでしょう。

異変の通知は、ひと目会いたいという、娘へのシグナルだったと思える。

娘は母の恢復に祈りを込め入院を見届け、帰京の電車の中にあった。

その後、偶然にも遠方で働く息子が母の病床を訪れるという、正に奇跡のような出来事が起こる。
この母にして起った奇跡としか思えない。
病床で息子と手を握り終え、母は天寿を全うした。

最期に愛する娘と息子の手を握り旅立つ。
何という見事な最期であったろう。

血のつながりのない私は、この母の真っ当に生きた人生と子を思う母の姿を見たように思う。

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Posted by 秀木石