春にして草木深し

雑記

Vol.1-4.18-95  春にして草木深し
2020.04.18

昨年11月より早朝にウオーキングをするようになった。
雨の日と、寝過ごした日はお休みだ。誰にも怒られることのない無断欠勤となる。

5ヶ月目になるがそんなに続いているような気がしない。最初はいいかげんだったが最近は意外と真面目にやっている。

20分ほど歩くと中間地点の公園に到着し体操の時間を取る。

朝6時前だ。たった一人朝挨拶を交わす女性がいる。

ウオーキングを始めた頃。いつも白装束の小柄な女性がジイの前を通り公園の建物の横道から姿を消す。そんなことが2、3日続いた。どうしてもその行先が気になっていた。
そう思っていた矢先、戻ってジイの体操している近くに来たのだ。
思い切って話しかけてみた。
「おはようございます。朝早く何やっていらっしゃるんですか?」と尋ねてみた。
ばあさんは「う~ん、運動がてら公園のゴミ拾いやってんだ~」
「あ、そうですか、それは大変ですね、ありがとうございます。」
そんないきさつがあってから、毎日公園にやってくる昔¨美人¨だった女性とは朝の挨拶を交わすたった一人の朝友になった。

最近は冬場と違い、ちょっと日の出が早くなった。
やはり ¨春はあけぼの¨ だ。ようよう白くなりゆくころウオーキングの途中に立ち寄る公園での体操と少々の筋トレらしきものをやって帰るのだが、まあまあよく続いていると思う。
公園までが20分帰りは15分、約35分のジイには適当なウオーキングだ。

つい最近まで、桜が満開だったのが、今はほぼ葉桜になった。その桜が終わりを告げるころ八重桜のつぼみが少しずつ大きくなっていた。後はお任せと言わんばかりに今まさに満開になった。
数日前の強風で少し散ったが、懸命に咲いている。
街路樹には花水木が咲き始めた、家々の庭にはこでまり、コブシ、つつじ、ボタンなどが、秋には品格ある紅葉を見せるどうだんつつじが、それぞれの庭を彩っている。

新型コロナウイルスが猛威を振るう中、花たちは ¨平常心を忘れないで頑張って!¨ と問いかけるかのように咲いている。

そう言えば、杜甫の「春望」、「国破れて山河有り、城春にして草木深し・・・」なる漢詩があるが、戦争に敗れて荒れ果てた城、その周辺にはまるで戦争などなかったかのように春になれば青々とした草木に包まれている。と詠んだように、その自然の凄さというかどんな状況であろうとまるで自分たちの使命であるかのように春を満開にする草木たち。

最近、孫にこの「春望」の冒頭をよく聞かせる。そうしているうちに「草木深し」と大きな声で言うようになった。この部分が言いやすいのだろう。漢詩のことは知らないのだが、この歯切れの良さと響きがいい。

ところで桜は散ったが、ジイは桜の後の青々として若緑に輝く桜が好きだ。いかにも若い旅立ちを感じて未来への意気揚々とした明るさとウキウキ感が何とも言えない。

我が家には、昨年赤鬼の言いつけでチューリップを植えたが、7,8個植えた球根がたった一つしか花をつけなかった。近所の庭にあるチュウリップは見事な花をいくつも咲かせているのを見るとうらやましくなる。というより、何が悪かったのかと反省するばかりだ。
赤鬼は口には出さないが、「ジイの野郎、どういう植え方をしたんだ・・・」と腹の中は煮えくり返っていることだろう。

約4、50分のウオーキングを終えドアを開け玄関に入ると、小さな一輪挿しを住処とするフリージアが静かに迎えてくれる。

今日も自粛の春である。