16年目の真実
Vol.3-4.11-818 16年目の真実
2022.04.11
月刊Hanada5月号の記事である。
「夫・中川昭一の『核発言』16年目の真実」と言うタイトルで、故・中川昭一元衆議院の妻で、現衆議院議員の中川郁子氏の寄稿文が掲載されている。
寄稿文は、今から16年前、2006年10月15日テレビ朝日の「サンデープロジェクト」で中川昭一氏の「核発言」の話から始る。
北朝鮮のミサイル発射と核実験を受けての発言であった。
「憲法でも核保有は禁止されていない。核があることで攻められる可能性が低くなる、やればやり返すという論理はありうる。当然、議論があっていい」
当たり前のことを言ったまでだが、当時の社会状況ではまだ核議論にまでいく雰囲気はなく、核議論そのものがタブー視されていた時代だ。
夫人の心配通りに猛烈な批判を浴びることになった。
火を見るより明らかな結果が想定できたにもかかわらず、中川氏は何故「核」の話を持ち出したのか。政治に対し命懸けを宣言している夫に、夫人は「これは騒ぎになってしまう・・・」と心配しながらも、その真意を「私からはあえて訊くことをしませんでした」と語っている。
夫人としては深い思慮なく質すことなど到底無理な雰囲気であったと推測する。
隣の無法国家・北朝鮮が、核実験を行いミサイルを発射しているのである。ケンカ相手は当然アメリカである。しかし米国と同盟関係にあって、かつ防衛はアメリカ任せの日本が無視できるものでもない。相手が世界の制止を無視して核開発をし、核実験までしているのである。隣にいる日本が核議論すらできないとは滑稽な話である。
ウクライナ戦争が始まる前に、「敵基地攻撃能力」の話が出ただけで国会は紛糾した。防衛=戦争イメージから未だ抜け出せない、そんな日本での核議論などもってのほかとなる。
中川氏は批判を浴びながらも「あの発言は当たり前のこと」と信念を曲げなかったが、夫人は真意を聞くチャンスがないまま時は過ぎるのだが、ある時突然『あの発言は安倍ちゃんを守るためだった』と吐露されたと記されている。
夫人は「そうなの」と相槌をうったものの、真意を深く追及することはなかった。そして国家の行く末を心配しながらも56歳の若さで亡くなってしまう。
時は16年が経過。今年の2月27日ウクライナ情勢を受けて、安倍晋三元首相がフジテレビの「日曜報道 THE PRIME」でかつて中川氏が核議論でバッシングを浴びた事例を出し、議論は行っていくべきだと語ったのである。
それと呼応するように、福田総務会長も「核共有の議論そのものはすべきである。国民と国家を守るのであれば、どんな議論も避けてはいけない」と発言。
さらに夫人が最後まで夫・中川昭一氏の真意を確かめることができなかった『あの発言は安倍ちゃんを守るためだった』発言の真意にたどり着くのである。
福田氏は「自民党内で最も保守派といわれた自分が核保有の議論を訴えることで、これよりも激しい意見を止めるんだ」と話されたことを明かし「この国を守るため、政治家には様々な立場があり・・・・すごいことだな感心した」と当時を語った。
夫人は16年目にして「安倍総理を守る」それはすなわち「日本を守る」ことだったと真に理解したという。
いろんなエピソードを交えながら、政治家 “ 中川昭一 ” は最後まで日本を守るため戦い続けた人生だったと振り返る回想文にもなっている。
中川昭一氏が夫人に語った言葉がある。
「僕は子供たちのことを守ってあげられない。君がしっかり守ってあげてほしい。僕は国家、国民のために命を賭して仕事するから」
といい、自身のウエブサイトで、『日本が危ない』と記し、56歳の若さで亡くなった。
大酒のみでのトラブルは数多くあったようだが、特に印象に残ったのは何といってもG7の財務大臣・中央銀行総裁会議出席のためにイタリア・ローマを訪れ、会議の後の記者会見で酩酊しているかのような姿がニュース映像で流れた時はまいった。
“ 酒 ” がなければまだまだ行けた。愛国心をズキンズキンと感じさせてくれたジイ好みの政治家だった。思えば坂本多加雄氏といい生粋の若手保守の早世は残念でならない。
「日本が危ない」とつぶやき、この世を去って13年。「日本は本当に危ない」状況にある。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません