消された香港の未来
Vol.3-7.2-900 消された香港の未来
2022.07.02
今年は、世界の誰からも歓迎されないという珍しい式典が2つあった。
1、<対ドイツ戦勝記念日 >
ロシアの対ナチス・ドイツ勝利記念式典
2、<香港・中国返還25年記念式典>
香港では1日、返還25年式典が開催され、習近平国家主席は「愛国者による香港の統治」が実現したと強調し、民主派を排除する国家安全維持法の制定などを正当化した。
中国の社会主義の本質は共産党の指導だと強調し「香港のすべての住民は自主的に尊重し守らなければならない」と強調した。
さらに、「一国二制度は世界が注目する成功を収めた」というに至っては、我田引水も甚だしい。すべてを自己都合に置き換える中国共産党ならではの論法である。
香港に高度な自治を認め、50年間資本主義社会の制度を維持する約束も、25年を待たずに反故にした張本人は習近平である。
小林秀雄はよく他人の顔をじっくり見た。顔にその人間が現れるのだそうだが、習近平氏のまともな顔を一度として見たことがない。いつも不満顔、喜ぶでもなし、笑うでもなく、かといって怒っているようでもない。ただ不満そうなのである。絶対にカリスマにはなれないタイプだ。
今までの香港の自治が、中国本土と何ら変わらない政治環境であれば特別問題はなかった。しかし、香港は150年以上にわたりイギリスの統治下にあった。そのお蔭で、香港は東京、ロンドン、ニューヨーク、シンガポール、上海と並ぶ世界都市の一つとなり、世界的に重要な国際金融センターに格付けされ、低税率および自由貿易を特徴とする重要な資本サービス経済を有し、通貨の香港ドルは世界第8位の取引高を有する世界でも魅力的な都市であった。
その香港が、1997年7月1日、今まで同様の政治制度を50年間維持する、一国二制度を守る約束で英国領から中国に返還された。
しばらくはよかった。中国経済に力がつくにつれ、香港の悪夢は始まった。2003年7月、ついに国家安全条例制定(言論の自由を制限)の動きが出てきた、市民50万人に及ぶ反対デモで抵抗、一旦は治まったかに見えた。
しかし、香港の中国化を一気に推進しようとしたのが、2013年に総書記に就任した習近平である。香港への全面的な統治権を主張し介入を強めた。
中国共産党の不穏な動きに民主化を訴える若い活動家たちは「真の普通選挙の実現を香港政府に求めた、香港史上最大の民主運動」が2014年の「雨傘運動」である。
それでも、習近平は強硬に中国化を進め、中国本土にへの容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例改正案」の制定で抑え込もうとした。反対デモは200万人規模に膨らんだ。その後、反中デモに転嫁し香港は未曽有の混乱に陥った。
2020年には「香港国家安全維持法」を成立させ、デモや集会の自由を制限、徹底して検挙逮捕という強硬姿勢に転じた。
民主派メンバーを大量に逮捕・起訴、民主派系メディアも次々に発行停止に追い込まれた。
あっというまに世界報道自由度ランキングは2002年18位だった香港は今年、148位まで落ち込んだ。
2021年には選挙制度も改正、「愛国者」と認定されなければ立候補さえできなくなった。愛国者とは<中国を愛し、中国共産党を全面的に支持する者>である。
結果として、議員は100%中国共産党員となった。
自由は消え、暗黒の香港の始まりである。天国から地獄とはこのことである。
ブルース・リー、ジャッキー・チェン、アグネス・チャンの活躍した香港はもうない。
あるのは、中国の南端に、沈黙と従属、中国共産党に監視された中国版・アルカトラズ島が生まれた。
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