銅鑼湾書店

世界 雑記

Vol.1-4.26-103 銅鑼湾書店
2020.04.26

何か月前だったか、香港で中国共産党体制などを批判する書籍を販売したため閉店に追い込まれ、店長の林栄基氏が中国に拉致、連行されるということがあった。
その後、台湾に逃れた林栄基氏、気丈にもいずれまた書店を開きたいと言う思いを語ったと言う記事を記憶している。

その「銅鑼湾書店(どらわん書店)」が台北市内で営業を再開すると言うのだ。

店長の林栄基氏の意志の強さに感服する。
香港でも相当危ない状況であったが、何とか台湾に逃れたばかりである。相手は中国共産党だ。市民の1人や2人殺すのは何とも思っていない国である。
林氏はそんなこと百も承知の上であろうが、やることが急である。危険極まりないことであるにも拘わらず、毅然と立ち向かうその精神は闘士そのものである。平和に慣れ親しんだ日本人には実感もできないし、想像すらできないのではなかろうか。

とは言え、ここ日本では11日連続で尖閣諸島周辺を機関砲のようなものを搭載した船が、領海の接続水域を航行している。海上保安庁の巡視船が警告を発してはいるが、隙あらばという意図は見え見えである。
しかし、日本のほとんどの国民にその危機感はない。

しかし、台湾は事情が違う。
台湾は中国の一部であると世界に公言している。中国にとって台湾は核心的利益なのだ。現に今回の新型コロナウイルスでは、中国に取り込まれたWHOテドロス事務局長は台湾のWHO加盟を認めようとしない。中国の圧力に手足を縛られ中国の言うがまま。中国はどんな批判があろうと意にも介さない。

今、中国と台湾は表面上穏やかそうに見えるが、実態は戦時下であると言っても過言ではない。
アメリカがいなければ、とっくに台湾は中国台湾省にでもなっているだろう。

中国数千年の歴史は言わずとしれた、虐殺、粛清、権力闘争の歴史そのものである。
たかが、書店1つの開店ぐらいと許すわけにはいかないのだ。中国の批判分子は見捨てて置くわけにはいけない。
中国にとって天安門の悪夢は2度と起こしたくない事件だ。小さなヒビ(自由主義)が大きな岩(共産党)を砕かないとも限らない。簡単に許すわけがない中国側の事情があるのだ。

すでに、「店名の変更」求める弁護士からの書簡が届いた。店長は暴漢にペンキを懸けられる被害を受けた。
当然だが、台湾当局は「中国共産党に近い勢力が関与している可能性がある」とみて捜査を始めたそうだが、可能性ではなく間違いなく中国共産党の仕業である。

ペンキならまだいい。案の定脅迫状がきた。
「今回はただの、警告だ。台北には仲間が大勢いるので、あなたを簡単に殺せる。」と堂々と宣言した。
正しく殺人予告だ。ジイは台湾事情に詳しくない。果たして台湾警察がというより台湾国家が林栄基氏を守れるかどうかだ。

正に命がけだ。
店長の林栄基氏は想定内の出来事なのかもしれないが、香港と台湾、2つの問題を抱え、更にコロナ問題でアメリカと争う、どれ一つとして引くようなことはないと考えなければならない。
その際、何かのきっかけで暴発する可能性はある。その時、中国は知らん顔で「一部暴漢の仕業だろう、中国は一切関与していない。」と真顔でうそをつくことなど平気の平左なのだ。

日本へ帰化した石平氏が「中国には嘘という言葉はない」という。嘘という概念がないのだ。我々が嘘と称するものは中国においては勝つための1つのパーツにすぎない。中国では善悪の問題外として、気にもかけないということだ。
かの孔子も、国のためにつく嘘は嘘ではない。というようなことを言ったと記憶しているが、そもそも中国の文化として悪い事とは認識されていない。

一国が独立しようと考えた時。引き換えにどれだけの命を必要とするのだろうか。
平和を唱える日本人よ!!・・・沖縄の最南端の島の岬に立って見よ。そこには今まさに国家の命運をかけ一市民が命をかけ闘っている現実があることを知れといいたい。

平和そのものの日本で声高らかに平和を叫んでどうする。岬にたてばかすかに見えるほど近い台湾の平和にも思いを馳せてはどうか。
何かと言えば、戦争反対という、そう叫びながらどこが攻めて来るの?と正に平和ボケの回答をするジャーナリストがいる。目に見える島、その台湾や香港は命の危険と隣り合わせなのだ、強盗などではない。国家が乗っ取られると言う恐怖を知るべきだ。国家が狙われている、警察さえ頼りにならないということが現実に起こっていると言う事実だ。

銅鑼湾書店ガンバレ!!台湾ガンバレ!!と叫んでも何の力にもならない。こんな言葉しかかけられないジジイは情けないの一言だ。
せめて、平和を唱える日本人よ、香港や台湾の戦時という現実を今胸に置くべきではないか。