思い出
Vol.1-4.28-105 思い出
2020.04.28
先日、新型コロナウイルスで岡江久美子さんが亡くなった。その前には志村けんさんがコロナの犠牲になった。
お二人の活躍を昨日のことのように思い出す。
遺族の方が、「信じられない、事実を受け止められない。」というのはその通りだと思う。
それなりに歳をとり、長い入院生活で闘病に苦しむ日々であればかなりの覚悟もする。しかし、あまりにも急いだ死である。
お元気な方であったが故に人間の命のはかなさを思い知る。
昨年も多くの方が亡くなられた。
ジイが知る有名人だけでもこんなにおられる。
京マチ子さん(95歳)田辺聖子さん(91歳)高島忠夫さん(88歳)
竹村健一さん(89歳)ジャニー喜多川さん(87歳)
安部譲二さん(82歳)佐藤しのぶさん(61歳)金田正一さん(86歳)
和田誠さん(83歳)中山仁さん(77歳)緒方貞子さん(92歳)
八千草薫さん(88歳)中曽根康弘元首相(101歳)梅宮辰夫さん(81歳)
中曽根元首相や、高島忠夫さんの死因に老衰とあった。
まさしく天寿を全うしたと言える死だ。
「天寿」という言葉には授かった命との意味がある。同じ授かった命でもこのお二人は「人生を生き切った」という感じを抱く。頭のてっぺんから足の先まですべて使い果たした、人生の達人のように思え、うらやましく思う。
しかし、岡江さんや、志村さん、まさに道半ばの天寿だ。
本人もそうだが、残された大和田氏が語ったように、「残念で、悔しくて、悲しい」という気持ちがすべてのような気がした。
残された者は彼らの残した思い出に生きることになる。
あの日、あの時、あの時間の事を思い出として生きるしかその術はない。
ジイも昨年義母を亡くした。
初めてお会いした時のこと、生まれたばかりの長女を預かってもらった日々。次女の出産に付き添っていただいたこと、田舎でのモンペ姿や、優しい笑顔、横浜での思い出、すべて思い出の中にまざまざと生きている。
そう思うともし、過ぎ去った過去が、「思い出」という記憶に残らないとしたら、人は生きていけるのだろうかとさえ思う。
我が身が子供だった頃、あの時ラジオから流れていた歌。隣のおじさんが語っていた流行歌手の話題、それほど有名な曲でなかったにしても、あの時に聞いたあの歌はその人にとって、確かに生きた証として昨日のことのように思い出される。大切な記憶だ。
特別意味のある言葉でなくても、友達が言った一言をハッキリ覚えていることがる。今思えば大きな意味があると思えなことも、その時の心情においてきっと響く言葉だったのだろうと思う。その前後の記憶がなくてもその一言を何故か覚えている。
その歌が流れるだけで、あの時歩いていた町の情景が時代の雰囲気をも伴って浮かび上がってくる。
昨年、写真を整理した。若いころ、あの支店でのこと、たった一人でも思い出は楽しませてくれる不思議なアイテムだ。
50年近く前、新しく支店を開設するにつけ、団結の意味で「誓いの言葉」をつくった。
記念にパネルとしてもらったものを未だに掲げている。
朝礼で営業部は皆で唱和してその日を始めたものだ。
1、初心を忘れず不屈の精神でベストをつくし限りなく前進を続けよう
1、既成概念を捨てすべてに挑戦し・・・・と五項目ある。
このパネルを見るたびに大阪の地で朝の朝礼で唱和し、炎天下を営業した日を昨日の事のように思い出す。
歳をとったせいかもしれない。
何でもない写真が、胸を切なくさせることもある。
あの時の後悔だ、あの時こうすれば良かった。こうしてあげればよかった。
集合写真を見て、元気だったあの時から今の姿はと思う時もある。
一人抜け、また一人、と写真は残酷な思い出も分け隔てなく思い出させてくれる。
でも神は、歳をとるとすぐ忘れるように作ってくれた。
悪い思い出もその場を離れれば数分後にはもう忘れている。
思い出は決して色あせることなく、瞬時にあの日にいざなってくれる最強の天使と言えるかもしれない。